本研究の第一の意義は、「教育の公共性」という抽象的な問題について、「制度」(学校、試験、カリキュラムなど)と「思想」(リベラリズム、平等、効率性など)双方からアプローチを行うことで、教育に求められる公共性の在り方について、具体的な問題提起を行った点にある。第二の意義は、「教育の公共性」からデューイを読みとくことで、同時代の教育・政治を取り巻く状況におけるデューイの思想的意義と限界を明らかにしたことにある。具体的には、「市民性教育」と「職業教育」の関係性や、「良き市民できあること」の意味、また「市民性教育」と「国民性教育」との異同について問い直す作業を通じてデューイの現代性を浮かび上がらせた。
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