近代国家は養育を扶養と教育に切り分け、扶養を親の責任領域に残す一方、子どもの教育を国家の事務として吸収した。つまり、子どもの養育が家庭における扶養と国家が主導する教育とに分裂させ、前者を私事とする一方、後者を公教育制度に取り込んだ。その際、教育費の公私負担区分は国及び歴史段階によって異なり、無償を基本とする福祉国家的教育費制度が存在する一方、義務教育及び中等教育の「無償制」を授業料に限定し、高等教育については私費負担を原則とする国も存在する。日本は後者に属し、日本における公教育制度は教育目的・目標・内容に関しては国家主導型となり、経費負担については私費負担または世帯負担型となっている。このため、子ども・若者の教育機会は世帯所得に依存することとなり、親の低所得は「子どもの貧困」として現象することとなる。 他方、戦後日本の資本主義と国家は、教育を受けることは学歴獲得の手段であり、したがって義務教育と国益に直結する教育を例外として、教育費を世帯収入から支出させる教育費負担構造をとり、企業は教育費負担を加味した賃金構造を採用してきた。しかし、この四半世紀のうちに、大企業が空前の内部留保を蓄積する一方で、国民には非正規雇用の増大や賃金水準の引き下げが押しつけられてきた。企業は、労働力の再生産経費を加味した賃金水準を維持することを放棄している。このため、国民の所得水準が低・中所得層を中心に押し下げられ、低所得世帯の経済的困窮のみならず、子育て世帯の多くが、子育てや教育に要する経費を世帯収入から捻出することが難しくなっている。新自由主義的国家改造が学歴獲得主義の教育費負担構造を支える物質的基盤まで崩壊させた結果、子育て・教育費を世帯収入で負担させる教育費負担構造が機能不全に陥り、子育て・教育費の自己負担原則に耐えられない国民に対して国が資金を供給せざるをえない状況が出現した。
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