2020年度は,前年度に行った中村拡三研究を深めるため,彼が残滓を経験した大正期信州の教育に焦点を当て,自由大学運動とそれを超える動きを英日比較教育史の視点から検討した。 「十分に人間性を発揮した,完全に自由な,同胞的共同社会生活」の建設を理想とした自由大学運動指導者・土田杏村は,民衆をリスペクトする姿勢が弱く,隠れた才能を有する人からそれを引き出せなかった。土田が書物を通して出会った英国人共産主義者ポール夫妻もまた,個々の労働者へのリスペクトを欠いていた。 上記理想の実現を図るため,自由大学運動の理念を構築する過程で,土田は英国の労働者向け教養教育機関・WEAの年報を手にした。しかし階級闘争を目的とせぬWEAに魅力を感じなかった彼は,そこから教育の理念と方法を学ばなかった。このことは彼から,WEAがもつ自由な討論・論述を含む学問的自己教育の文化を知る機会を奪い,その結果講義だけが続けられた自由大学は,衰退していく。 自由大学に刺激を受けた下伊那郡千代村の青年たちは,村に自由大学の支部を設け,学びの再構築を試みた。土田が自由大学運動を図書館利用と結びつけて考えなかったのに対し千代青年会は,処女会とともに村立図書館運営に積極的に関与した。これと定期的読書会開催を考え合わせると,同村の青年たちは,文字情報を利用した学問的自己教育の方向性を模索しており,土田の想定を超えた。しかし適切に問いを立てることも,それに基づく討論と小論文作成をも知らぬ彼らは,研究活動を進められなかった。 かく英国から日本への情報伝達の面から自由大学運動を見ると,指導者・土田が英国から学問的自己教育の文化を学べなかったのに対し,千代村の青年たちは,彼の彼方に自分たちが知を共有する姿を見ることにより,土田を超えた。しかし青年たちには学問の方法を教える適切な指導者がいなかったため,この姿は幻に終わったのである。
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