2023年度は主に、井上武士を通して、学校音楽を新自由主義に侵されている国家との関係から捉え直し、学校で音楽をすることの意味について検討する論文に取り組んだ。ただ、井上の文献資料は収集できたものの、新自由主義とそれに関連する教育学研究の文献が十分に収集できず、現在も論文を作成中である。 2015年6月8日に文部科学省が各国立大学法人学長に通知した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」に端を発する、国・政府が特に人文科学を軽視する背景には、市場原理による自由競争を優先させ強化させる新自由主義思想がベースにある。この通知は高等教育機関を対象としたものであったが、その後、幼稚園から初等中等教育にまで拡大されている。これらの教育機関で優先されるのは「社会を生き抜く力」である「知識経済」であり、国家に役立つ人材の育成である。井上は「教育は国家の公事である。教育者は国家の公事を行う使徒でなければならない」(井上 1940)と明言し、「美的情操の醇化」を通した「人づくり」と「国づくり」に貢献する学校音楽の有用性を、国民学校期から戦後期にかけて主張した。人文科学の一部である「音楽」教育は、井上に代表されるような学校音楽の有用性を戦前期から訴え続けることによって、教科の存続を果たしてきたのである。しかし、学校音楽の目的はこれでよいのか。作成中の論文では、学校音楽の存在意義を歴史的にあらためて問い直すことを目指している。 研究期間全体としては、小出浩平と上田友亀の音楽教育論を通して、戦前期から「自律的な音楽」が小学校音楽の目的である「美的情操を養うこと」の理論的根拠となっており、「音楽美」を感得するための知識・技能の獲得が重視されていたことを明らかにした。そして、この理念と実践はそのまま戦後期に受け継がれ、現在の小学校音楽を規定しているのではないか、との仮定を得るに至った。
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