研究課題/領域番号 |
18K04534
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研究機関 | 京都工芸繊維大学 |
研究代表者 |
松田 剛佐 京都工芸繊維大学, デザイン・建築学系, 助教 (20293988)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 丹波材流通 / 材木筏 / 嵯峨材木問屋 / 運上木 / 商品材 / 貢納材 / 災害対応 / 幕府財政 |
研究実績の概要 |
今年度は、近世の京都の材木流通の実態を明らかにするべく、丹波材流通の要衝の嵯峨で扱われた筏数の変遷を分析し、その実態と背景の考察を行った。筏数は旧保津村役場所蔵文書や旧保津村五苗財団文書、田中家所蔵文書等に関する既往研究を手掛かりにしながら、新たに嵯峨の木屋の山口家の「山口新六家文書」(京都市歴史資料館所蔵)を用いて分析した。丹波材の商品材生産は、太閤検地の天正15年に弓削荘の山役改正で、「末八寸の三間木」「三尋木」「山役銭」の山役をあげて「山役無相違相立候上者何様之為商売共可仕者也」と公認されている。即ち16世紀後期頃から商品材の需要が高まったと見ることが出来る。また商品材筏への運上賦課は寛永17年(1640)から確認され、運上木は嵯峨材木問屋の業者の入札後に流下された。筏1乗の木材数は延宝9年(1681)に286本と定められたが、『京都府山林誌』では延宝年頃に年間640~650乗が流下されたとあるので、膨大な量であったことが推察される。商品材の増産は税収増も意味するが、『京都町触集成』の寛政11年(1799)の触から、亀山藩の運上役所が取り仕切ったことがわかる。また、入札触が市中へ出されるという事は、商品材需要の高まりと、税収増の狙いが背景にあったと考えられる。流下量が特に増加するのは、京市中の災害時で、入札を停止して流通の円滑をはかると同時に、価格の高騰を禁じる触が出されることもあった。しかし、宝永地震(1707)と大火(1705)が連続した時には、流下量の増大に加えて運上の増加が見られており、これは大火で被災した公家町復興の為に税収増を図ったと考えられる。江戸期を通じて流下量が多いのは、元禄期から宝永~正徳年間(1688~1716)であった。以上の様に、丹波材の商品材について運上と災害対応を視点にすることで、流下量の実態の意味と背景の一端を明らかにすることが出来た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は、前年度に計画したように、大堰川水運における丹波材流通の要衝であった嵯峨に着目して、材木流通の実態を解明することを試みた。しかし、現地調査や史料収集が困難な社会状況であったため、一次史料の調査出張が難しく、既往研究や翻刻史料を主に用いざるを得ない状況となってしまった。そのような制約の中ではあったが、本研究のような、建築材料としての木材流通に関する既往の研究は殆ど見られ無なかったため、既往研究に示された翻刻史料に基づきながらも、本研究を進めることで新たな知見を得ることが出来た。即ち、商品材流通量の増減の全体像を把握するうえで、当初には研究計画に含めていなかった入札を通じた運上に新たに着目することで、流通量と幕政の経済状況との関連を考察することが出来た。また、平常時と災害対応時とを比較することで、このような商品材流通量と社会背景との関連を、より明確に考察することが出来たのも大きな成果であった。
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今後の研究の推進方策 |
今年度の研究成果として、丹波材の商品材流通量に関して、運上に注目しながら、平常時や災害対応時の状況を考察することで、その実情を明らかにすることができた。しかし、より包括的な視座を獲得すべく、今年度の特殊な状況下では行えなかった史料調査を試みることとしたい。即ち、大堰川流域で材木流通に関わっていた家分け文書史料を調査する。また同時に、生産地である山国荘と黒田村に関する史料も、今年度の成果で得られた運上からの視点で、再調査する。さらに、今年度の研究により、商品材流通と運上との関係が重要であることが明らかにもなったので、丹波材流通に関する構造的な知見を得るために、近世の財政に関する調査も行う。以上のように、今年度の成果から、「生産と流通のふたつの場面における流通量」・「商品材にかかる運上」・「社会状況に応じた財政」の三つの視座を得たことで、今後の研究をより包括的にすすめることが出来ると考える。
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次年度使用額が生じた理由 |
今年度に予定していた史料調査のための出張がかなわなかったため、旅費相当分として、残額分の、次年度使用額が生じた。翌年度においては、当初の研究予定通りに、史料調査旅費として使用する計画である。
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