今年度は研究成果の総括を行った。まず、京都の材木生産地の代表である丹波について、大堰川に着目し、流通機構を分析した。即ち、大堰川流通では、生産(山方=在郷材木商人=筏荷主)・流通(筏問屋=運材業者)・市場(三か所材木市場=地方市場)の機構が近世を通じて機能し、豪商の様な都市商人は進出できず、産地在郷材木商人が運材業者と地方市場を支配し続けた点が、丹波材流通機構の特徴であった。この様な特殊性を生んだ要因として、山方が生産手段たる山林を共有又は私有で所持したこと、消費地の洛中が産地である山方に近接していた為、流通業者の地位が低下されやすい傾向にあったことが挙げられた。即ち、丹波材流通機構は、生産地と消費地が近接し、他地域の商品が干渉しないことによる、都市商業資本の独占のない、地主的林業形態を根幹としたシステムであった。つぎに、丹波材流通の生産者の実態を分析し、その支配的な立場を分析した。即ち、平安以来の荘園村落として材木を貢納した山国荘の出材史料から、近世の山林荒廃からの復興、大坂商人の進出の阻止、違法売買への対策の状況等を明らかにし、それらが常に生産者の共同体によって対応していたことを明らかにした。また出材規格の標準化は、近世を通じて一貫していたことも明らかになった。続いて、丹波材流通の集荷地である嵯峨で扱われた筏数の変遷から、その実態と背景を分析した。近世を通じて膨大な量の丹波材が流下される中、余剰材を商品材として捌いて税収入を得る動きを、亀山藩で確認することが出来た。一方で災害時は入札の停止をしたり、逆に公家町が被災した場合は運上が増加したりするなど、材木流通量の管理が単なる商目的に留まらないことも明らかになった。最後に全国的な材木の産出体制との比較検討から、京都は皇室や上方材木商が温存されて、幕府による統治としての材木産出機構が進出できなかったことが明らかになった。
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