研究課題/領域番号 |
18K04538
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研究機関 | 群馬大学 |
研究代表者 |
陳 雲蓮 群馬大学, 国際センター, 専任講師 (70791896)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 長崎港外国人波止場 / 大浦 / 新地 / 出島 / 立神 / 波止場修理 / 石垣工法 / 石工 |
研究実績の概要 |
2020年度は主に近代長崎港の施設配置と建設過程について研究した。そして、台湾総督府による近代打狗港(高雄港)の第一期、第二期工事についても分析を進めていた。 まず、明治期の長崎港の港湾施設の特徴を分析した。明治三十年(一八九七年)に長崎の大規模な築港事業が開始するまでに、長崎の港湾機能は主に外国人居留地に設置された波止場と三菱長崎造船所によって支えられ、長崎港の波止場の規模と港内の水深から見ると、当時の長崎港には主に小型船が入港し、停泊していた。次に、波止場の修理工事と三菱長崎造船所の埋め立て工事から、長崎港の基盤施設を作ったのはいずれも石であり、日本で長い伝統を持つ石垣工法が近代の港湾建設において活用された実態を明確にした。最後に、早い段階の明治二年(一八六九年)から長崎港の整備と管理は、長崎県が主導権を握って行なっていたことを明らかにした。この点は、アメリカ郵船太平洋会社による石炭専用の荷揚場建設申請に対する不許可、長崎外国人居留地の波止場の機能を点検し、個人用の波止場を撤去し、長崎税関管理下の公共用の波止場を残すこと、さらに老朽化が進んだ石造波止場の修理工事において顕著に見られた。長崎港の状況は、筆者がこれまで研究していた横浜居留地や神戸居留地の状況とは決定的に違っていた。例えば、明治七年(一八七四年)に横浜居留地の海岸に外国人が日本政府からの正式許可なしで個人用の梯子を置き、そこから「荷物を携帯しない」形で上陸、乗船をしていた 。一方、神戸居留地においては、明治十二年(一八七九年)に、イギリス系の横浜機関及び製鉄会社の代表ハルトは勝手に神戸川崎町の海岸に長さ五から六間にも及ぶ桟橋を建設していた 。横浜や神戸の居留地の水辺で起きたことは、長崎居留地の水辺では見られなかった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
1. 2020年度はコロナにより、海外調査や研究発表をできなくなり、文献解読と論文執筆に専念することができた。2020年9月には長崎での現地調査を実施し、12月には三菱研究所のご協力とご理解を得て三菱長崎造船所の立神工場関係の書簡を読むことができた。 2. 2018から2019年度までに、横浜、神戸、長崎、打狗、香港の港湾行政とシステムを究明できたため、2020年度は近代長崎港の建設工法の研究に集中することができた。
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今後の研究の推進方策 |
明治期の長崎港で見られるように、同じ時期における神戸、横浜、大阪の居留地水辺の護岸はすべて石垣で建設され、修理工事も同じく石材が使用された 。一方、日本や日本の海外居留地の港湾建設において、護岸や桟橋の工法に大きな違いが見られた。例えば、明治十二年(一八七九年)に、神戸居留地川崎町の水辺でイギリス人ハルトが作った桟橋は杭構造であった。杭(図面からは材料や末口の寸法を判明できず)は海底まで指し、杭の上に桟橋の木製天板が置かれた 。なお、明治三十四年(一九〇一年)に、日本政府が天津日本居留地の護岸を設計した際に、当初は護岸の工法を高価の切石積みにしたが、すぐに廉価の間知石積みに変更したものの、最終的には最も安い木造の杭構造に決定した 。 2020年度の研究を経て港湾建設の工法が決められた原因は港湾の整備体制、技術、人材、材料の調達および工事費といった要素にあると考えるようになった。今後の課題としては、それらの要素を踏まえ、十九世紀末期から二十世紀初頭における高雄、香港の港湾工事とそれらの工法をさらに詳細に分析し、近代東アジアの中における長崎港の特徴や位置付けの分析を行う予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
国際学会の参加費と論文の出版費用が必要とされます。さらに2021年9月には北海道の函館、小樽に港湾の石垣の調査を実施する予定です。
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