本研究は、ハワイ・マウイ島を対象として、糖業プランテーションタウンの正確なベースマップを作成し、これまで収集した各種情報 (製糖会社史料、建物用途図、日本人移民に関する文献、写真、聞き取り、統計等)を地図上で統合することで、ハワイの糖業プランテーションタウンを総合的に分析することを目的としている。 ハワイの糖業プランテーションは19世紀末から20世紀初頭にかけて生産を大幅に拡大し、大規模なプランテーションでは数千人の労働者が暮らす独自の都市的空間を作り出した(日本人移民が最大のグループだった)。1920-30年代には多くの宿舎が庭付きの戸建て住宅に建て替えられ、学校や病院、宗教施設、商店、娯楽施設を持つ糖業プランテーションタウンとして興隆する。日本が台湾で建設した糖業プランテーションがモデルとしたのは20世紀初頭のハワイである。しかし、ハワイでの糖業プランテーションタウンを都市的空間として分析した研究はなく、本研究はその空白を埋める研究として位置付けられる。 平成30年度は米国公文書館所蔵の航空写真を調査し、1940年代のマウイ島の糖業プランテーションタウンの航空写真を入手した。同時にオアフ島、ハワイ島、カウアイ島の糖業プランテーションの航空写真についても調査を行い、航空写真を入手することができた。1920~1940年代の地形図をベースにしながら、マウイ島のプーネネに加え、オアフ島のエワ、ワイパフ、アイエア、ハワイ島のホノムの5カ所について、4千分の1の縮尺のオリジナル地図を作成した。 今後、これらの地図をベースマップとして、地図(空間=ハード)上に各種資料と聞き取り結果(生活文化=ソフト)を統合して空間化することにより、ハードとソフトが一体となった生活の場としての糖業プランテーションタウンの姿を再現する作業を進める。
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