現在の生物の地理的分布は,現在の環境条件だけでなく,過去の環境や地史の影響などの歴史的要因も強く受けている。本研究の目的は,日本列島に分布する照葉樹林を構成する生物種について遺伝的分化の地理的パターンを解析することによって照葉樹林の歴史的変遷過程を解明することである。シイ型照葉樹林の優占樹種であるスダジイについて,ESTに由来するマイクロサテライトマーカー27対による遺伝子多型の解析から集団変遷の歴史を推定した。ABC法を用い,スダジイ個体群の関係や個体数の変動の変遷を複数のモデルを構築して比較検討した結果,琉球グループ(奄美群島以南)と西グループ(九州南部付近)が最も古くから存在し,その後,西グループから東と日本海のグループが分岐したことがわかった。成立時期の推定によりこれら4グループは最終氷期最寒冷期前には既に成立していたことが示唆された。このことからスダジイは,琉球,西,日本海,東の地域で独自に最終氷期を生きのび,氷期後に暖かくなるにつれて個体数を増やしたと考えられる。次にカシ型照葉樹林の構成樹種8種の系統関係を次世代シーケンサーのRADseq法により解析した。実験には主に採集済みの冷凍葉およびシリカゲル乾燥葉を用いた。カシ類8種は種ごとに明確に遺伝的分化していた。イチイガシは他のカシ類と遺伝的にかなり離れており,ウラジロガシ・アラカシ・シラカシのクレードとアカガシ・ツクバネガシ・ハナガガシ・オキナワウラジロガシのクレードに分かれた。カシ類は東アジアに広く分布する主要樹種であるにもかかわらず種の境界があいまいな分類群の1つであり,複数の種間において葉緑体ハプロタイプの共有や核ゲノムの混合が報告されているが,RADseq法を用いてゲノムワイドなSNPデータを得ることにより,これまで不明瞭だったカシ類の系統関係を明らかにすることができた。
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