ナイチンゲールはクリミア戦争後、三冊の著作を著した。『女性による陸軍病院の看護 補助覚え書』(1858)(以下『補助覚え書』)、『病院覚え書』(1860)『看護覚え書』(1860)である。『病院覚え書』は何度も手を入れ、ナイチンゲール自身が3版(1863)の前書きで、これまでとは違う「新しい本」になったと述べる通り、初版とは全く内容が変わっている。初版は社会科学振興協会(1857年設立)の年次総会(1858)での講演原稿が基になっており、振興会からの質問に答えるという形式を取っている。主にクリミア戦争での現状が述べられている。出版年は前後するが、『病院覚え書』のクリミアでの事実を基に『補助覚え書』と『看護覚え書』に目を通すと、クリミア戦争での体験がこの2冊で展開されていることがわかる。彼女は『病院覚え書』で医療現場での混乱の一因を「システム」がない、あるいは「システム」が上手く構築されていないことを挙げている。『補助覚え書』ではそれを踏まえて項目がまとめている。また『病院覚え書』にはナースは「男性でも女性でも良い」という記述が複数見受けられる。しかし「病院では1人の女性の方が男性よりも多くの仕事をこなす」とし、それは「イングランドで女性が子どもの頃から慣れている務めに男性は慣れているからである」と述べている。この意見はまさに『看護覚え書』の「すべての女性は看護婦である」という前書きに呼応しているのである。 ただし、クリミア戦争での体験のみが彼女のその後の看護観に影響を及ぼしたと考えるのは早計である。初版の前書きに『病院覚え書』には「ロシアとの戦時下の軍隊と病院に関して」のみならず、ナイチンゲールの「病院建設とその組織原理に関する長年の経験の結果」が語られていると書かれているように、クリミア戦争の体験は、彼女がそれ以前に培ってきた経験があってこそ、活かすことが出来たのである。
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