馬庭念流は上野国多胡郡馬庭村(群馬県高崎市吉井町馬庭)で宗家の樋口家により16世紀末から継承され上野国、武蔵国、信濃国、江戸市中へと広がった剣術流派である。入門者の大半が農民であり旗本、藩士、藩主、高家衆もいた。江戸時代の厳しい身分統制下に農民身分の樋口家が道場を持ち多くの門人を獲得できた理由として(1)「太刀組目録」の授与開始。(2)「世話役人」による道場内統制。(3)「行事」による内部統制や他流儀との交渉。(4)「目代」による指導拡大。(5)免許者による独自の組織化を認めたことを指摘したい。以上から文政6年(1823)の伊香保額論一件で千葉周作一門の教線拡大を阻止することができたのである。
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