アジア・太平洋戦争について、フィリピン、特にビザヤ地方の研究者との協働を目的としていた。協働という点では、不十分なものに終わってしまった。セブのサンカルロス大学の紀要に投稿し2019年に掲載可となったが、この紀要そのものが発刊されなくなってしまった。当初の計画としては、この論文の合評会を現地で開くことなどし、協働関係の発展を期待したが、そのようにはならなかった。 他方、日本で刊行された業績としては、およそ3点を追究した。戦争犯罪と日本軍「慰安婦」問題との関係、戦時性暴力の戦争犯罪化の歴史とフィリピンの事例、憲兵隊の暴力と法の関係である。 この過程を経て実感するのは、たとえ著者の意識が高邁なものであっても、他者にとっては著者の研究が意味のあるものにならない、ということである。日本人研究者として、アジア・太平洋戦争が侵略戦争であり、日本軍兵士の一部が戦争犯罪を犯したことを強調する成果を表したとしても、それがフィリピン社会ではさほど評価されないという事実である。これを実感したのは、2019年10月のレイテ戦75年周年のシンポジウムにおいてであった。私の戦争犯罪研究はやや例外であり、全体としては、抗日ゲリラの英雄的行為についての研究が多かった。凄惨な治安戦が行われたパナイ島の事例を論じた発表があったが、現地の研究者は、戦争犯罪そのものより、日本軍の戦争犯罪を認めた元参謀と現地住民の戦後の友好関係を強調していた。 フィリピン人の側としては、悲惨な出来事は既知の事実であり、その詳述よりも、戦時であってもより複雑でニュアンスに富んだ日本人とフィリピン人との関係の探究が求められている。私も、戦争犯罪はそのような総合性のなかでも捉えらえるべきと考えるに至った。 なお、本科研の末期には協働の後継プロジェクトを始めた。現在サンカルロス大学の研究者と戦前・戦中セブの日本人史の探究を進めている。
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