本研究は、現代韓国における反日ナショナリズムの変化や、ネガティブなローカル史の再編、植民地遺産の文化資源化など、政治学的・社会学的・文化人類学的重要問題に関する調査研究が少ない局面において、日本式建築物だけでなく、植民地都市として開発されたローカル史を見直しつつ、積極的に文化資源化を推進してきた韓国の地方都市・群山(Gun-san)市を調査地に据え、当地域における「都市再生運動」「祝祭」「公共展示施設」を中心に植民地遺産の文化資源化の様相を明らかにするとともに、植民地期という過去が「公的記憶」「公的歴史」に創りかえられるプロセスとその社会的意味を考究することを目的に据えたものである。 本研究の研究実績をまとめると、第一に、韓国全北特別自治道(旧「全羅北道」)に属する群山市に残る「日本式建築物」(日朝修好条規の締結[1876年]から日本統治期[1910-1945年]までの間、朝鮮半島で日本人によって建てられ用いられた建築物)の保存・活用(資源化)の実践を、政策・制度に基づき保存・活用を進める地方政府(群山市)と、その結果出現した公的施設(主に歴史館等の展示施設)と商業施設(主にカフェ、ゲストハウスなど)の利用者(主に地元住民や観光者など)の両側面からその実態を究明できたことが挙げられる。 第二に、群山市のみならず、市内の大学に勤務する研究者らや地元の郷土史家などの知識人などが主導しつつ、地元住民を包摂する形で行われている都市再生運動についてもその展開や現状を明らかにすることができた。 最後に、日本式建築物や市のローカル史をモチーフにして行われている「群山時間旅行祝祭」を対象に祝祭の組織構造やその意義、現状などについて、特に日本の都市祭礼との比較を念頭に置きつつ、調べることができた。
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