最終年度は「『梁塵愚案抄』の時代の内侍所御神楽」のテーマで、令和3年度日本歌謡学会春季大会公開シンポジウム「一条兼良『梁塵愚案抄』と室町文化」でパネル発表をするとともに『日本歌謡研究』61号(2021年12月)に論文として発表した。同論文では、『梁塵愚案抄』の書写された康正元年を中心に、当時の内侍所御神楽と一条兼良、綾小路有俊らの関係を整理した。 また神楽歌、催馬楽をはじめとする郢曲については、一条兼良以前から注釈書が存在し、和歌の分野で必要とされた知であることが確認された。『梁塵愚案抄』は長く歌謡研究の嚆矢とみなされてきたが、先行する注釈書を踏襲したり、影響を受けたりした可能性も考える必要が出てきたのである。今後は歌謡の注釈書という性格だけでなく、広く当時の歌学からも同書の位置が再検討されるべきであると指摘した。 次に「室町時代の内侍所御神楽における綾小路家と四辻家」(新潟大学人文学部『人文科学研究』149輯、2021年12月)では、内侍所御神楽の拍子を務めた綾小路家と四辻家を取り上げた。長く拍子を務めた綾小路家は、大永3年に事実上断絶する。綾小路家の断絶によって、公卿所作の臨時御神楽は催行不能になっても不思議ではなかった。しかし四辻季春が内侍所御神楽に参仕するようになり、養子に出た者も含めて、子孫が所作人を務めるようになった。さらに一族で伝授と習礼を実施できるようになり、結果的に内侍所御神楽は延引と追行を繰り返しながらも継続したことを明らかにした。 さらに単著『なぜ神楽は応仁の乱を乗り越えられたのか』 (新典社選書、2021)を刊行した。同書は、南北朝時代から戦国時代にかけての内侍所御神楽について、特に応仁の乱の時期を中心に一般向けに解説したものである。
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