研究課題/領域番号 |
18K12287
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
山本 嘉孝 大阪大学, 文学研究科, 講師 (40783626)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 漢詩 / 擬古 / 朱子学 / 木下順庵 / 室鳩巣 / 林鵞峰 / 中村蘭林 |
研究実績の概要 |
本年度は、木下順庵の盛唐詩への傾倒が、朱子学及び宋代の詩・詩論と密接な関係を持っていた可能性を指摘できるところまで研究が進捗した。 まず、順庵が盛唐詩の模倣に傾倒した背景を理解すべく、「擬古」をキーワードとして17世紀後半に焦点を絞り、順庵の漢詩制作を、同世代の林鵞峰、及び門人の室鳩巣と比較した。その結果、(1)順庵・鳩巣師弟による模倣的作詩の重視は、明代よりも宋代の詩論・詩による影響と考えられること、(2)盛唐詩(特に李白・杜甫)の模倣は、朱熹が説いた作詩の学習法(『朱子語類』論文下)に依拠した可能性が高いこと、(3)その背景には、「古」の捉え方と和習(日本語話者特有の趣向や表現)の可否をめぐる、林家の儒者への対抗意識が介在していた可能性が指摘できること、の三点に関して新たな知見が得られた。先行研究では専ら明代の詩論・詩と紐づけされて論じられてきた近世日本の模倣的作詩が、当初は、宋代の詩論・詩、及び宋代に淵源を持つ学問(朱子学)と相まって定着していった様相が窺える研究結果であり、(1)従来考えられていたよりも、朱子学と模倣的作詩が必然性をもって密接に結びついていた時代・場面が存在したこと、(2)宋代の詩・詩論の受容のされ方が、近世前期と後期では異なっていたこと、の二点が明らかになってきた。以上の問題については、論文2本で発表した。 また、模倣的作詩がもはや些末な技芸に堕落した時代(18世紀中ごろ)に、順庵の孫弟子に当たる、朱子学者で幕府儒臣の中村蘭林が、漢詩ではなく和歌をもちいて擬古的な世界観を幕臣の武家たちに浸透させようとした過程について調査・検討した。18世紀末以降に幕府で実施された学問吟味にも通ずる教育観であり、順庵の盛唐詩の模倣が後代に如何なる変容を遂げて引き継がれたかを考察する上で有益な研究結果が得られた。この内容は論文1本(論集所収)で発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
木下順庵の漢詩制作における盛唐詩模倣の目的と方法について理解する上で、(1)朱子学と宋代の詩・詩論が重要であること、(2)近世初期の林家に対する競合意識の検討が必要となること、という方向性が明らかになってきたのは、本研究初年度の大きな成果であった。 ただし、順庵の漢詩の詳細な分析・読解はまだ着手したばかりの段階であり、本研究全体の射程を念頭に置くと、まだ十分なデータが集まっていないといえる。よって、当初の計画以上に進展しているとは言いがたい。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、木下順庵の漢詩を精読し、詩語・出典・表現の精査、ならびに作詩の《場》についての調査に取り組む計画である。現時点で特に焦点を当てる計画のある漢詩の種類、及び作詩の場は、以下のように整理できる。 (1)朝鮮通信使との応酬において作られた漢詩。朝鮮通信使を目の前にしたときに、和習(日本語話者ならではの趣向や表現方法)を排除する意識が如何に働いていたと考えられるかを検討する。また、通信使との応酬以外の場面でも、学力・才能を誇示する手段の一つであった漢詩制作をめぐり、同時代の日本の儒者たち同士で競合がなされたかについても調査する。 (2)和歌題の漢詩。順庵には和習を排除する傾向が認められるものの、それが恒常的な規範とはなっておらず、作詩を行う場や相手に合わせて、敢えて和習を効かせた和歌題詩を作ることもあった。このような詩作と、盛唐詩の模倣とが、如何なる位置関係にあったのかを検討する。 (3)順庵と朱子学の関係。順庵は必ずしも完全には朱子学に賛同しておらず、おそらく朱子学の個々の要素を取捨選択していたと考えられる。その具体的な様相について、同時代日本や中国の学問的状況や政治的動向も踏まえながら、考察する。 最初の二点について、次年度中、学会での研究発表、及び論文執筆を計画している。三点目については、最初の二点と関連させながら考察していく計画である。
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次年度使用額が生じた理由 |
計画よりも旅費の使用額が少なかったため、次年度使用額が生じた。次年度、旅費に使用する計画である。
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