前年度に引き続き最終年度となる今年度も新型コロナウイルス感染拡大によって、予定していた資料調査が遂行できなかったため、これまでに収集した資料の整理や分析、検討をおこなった。特に、陸奥国弘前津軽家文書『正風社歌会始1~12』(国文学研究資料館藏)のデジタル画像の整理と分析をおこない、歌会の開催日や会場、催主、兼題・当座、出詠者などのデータをまとめるとともに、「正風社」の歌会や運営、人的交流の実態を総合的に検討する作業をおこなった。 まず、『正風社歌会始1~12』の資料からは、陸奥弘前藩主津軽承昭が「正風社」の一員であったことや、「正風社」の歌会が概ね2~7月、10・11月に月1回の頻度で実施され、毎月の催主と兼題があらかじめ決められていたことなどが明らかとなった。また、本資料は明治10年6月から同43年4月までの歌会を収めるが、記録のない年や月もあるため、「正風社」のすべての歌会が網羅されているわけではない。さらに、『正風社歌会始7』には「興風会」に関する記述が散見され、会員数や入会資格、入会申込などの運営実態がうかがえる内容も確認できた。 次に、「正風社」を総合的に検討した結果、華族を中心とした集団によって組織され、そこに御歌所歌人などが介入して成り立っていたことや、歌会会場として催主の邸宅が提供され、かつ持ち回りで担当していたこと、「正風社」の歌会が「正風会」や「正風歌会」などとも称されていたことが明らかとなった。また、『御歌所寄人阪正臣氏談話速記』(巻菱湖記念時代館藏)において、御歌所寄人などを務めた阪正臣が麝香間祗候によって組織されていた歌会を「正風社」と言及していることも確認できた。「正風社」設立の背景には「興風会」「向陽会」同様に華族に対する明治天皇の歌道奨励があり、和歌の継承と発展という役割を担っていたと考えられる。
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