研究課題/領域番号 |
18K12318
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研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
結城 史郎 富山大学, 人文学部, 准教授 (00757346)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 女性表象 / ジェイムズ・ジョイス / W. B. イェイツ / 文芸復興運動 |
研究実績の概要 |
1890年代から1920年代にかけてのアイルランドでは、「文芸復興」と呼ばれる豊饒な運動が開花した。本研究の目的は、この運動がジェイムズ・ジョイスに与えた影響を考察することにある。ジョイスは自国の狭隘な文学に反発し、大陸のモダニズムの運動に共鳴したとされるが、その文学の形成に力あったのは、何よりも同時代のアイルランドであったはずだ。その具体的な関わりを探るべく、本研究では国家をめぐる民族主義の女性表象の脱神話化に焦点を向けるものである。 そこで2018年度においては、「W. B. イェイツとジェイムズ・ジョイスの女性像」という課題の下、両作家の運動を考察した。イェイツは劇『キャスリーン・ニ・フーリハン』(1902)において、アイルランドのイギリスからの独立を目指す血の犠牲を賛美した。そのような民族主義に対立したのがジョイスであった。 しかし、イェイツは『キャスリーン・ニ・フーリハン』に懐疑的であった。事実、イェイツは民族主義の女性表象から離反するような作品を描いた。劇『骨の夢』(1919)、あるいは詩集『マイケル・ロバーツと踊り子』(1921)、『塔』(1928)、『螺旋階段他』(1933)において、イェイツはアイルランドの女性表象を脱神話化してみせた。ジョイスと異なるものではない。 その一方、イェイツの『キャスリーン・ニ・フーリハン』は民族主義者を鼓舞し、その運動に貢献した。イェイツと民族主義者の関係は、メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』(1818)におけるフランケンシュタインとモンスターの関係に似ている。フランケンシュタインがモンスターを創造しながらも、彼はモンスターを制御できなくなっていた。イェイツも変わりはなかっただろう。1916年の復活祭蜂起に対するイェイツの驚愕はその事情を示している。そこにジョイスに連動する着地点が認められよう。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は「文芸復興運動とジェイムズ・ジョイスの連動」をめぐり、W. B. イェイツ、J. M. シング、そしてレイディ・グレゴリーとジョイスとの関わりをめぐり、アイルランドの女性表象を手がかりに推進するものである。そのため2018年度は最初の年度でもあり、イェイツに特化して、イェイツとジョイスの関わりを精査し、両者の相違と類似を析出することにした。 具体的には、イェイツの『キャスリーン・ニ・フーリハン』を手がかりに、イェイツとジョイスの対立を明らかにし、その後のイェイツの作品がその劇の女性表象へのパリノードであることから、両者が民族主義と一線を画するものであるとの結論を導いた。アイルランドは古くからイギリスの植民地支配下にあり、文芸復興運動は政治に代わる文化的な独立運動であったが、過激な民族主義思想が流布し、イェイツもその文学的姿勢の変更を迫られた。1916年の復活祭蜂起は象徴的な事件であった。そして文芸復興運動を支えていたイェイツたちは拠点を失い始めていた。プロテスタントとカトリック、イギリス系とケルト系という出自の相違も問われていた。そうした状況でのイェイツの変貌を跡づけ、民族主義からの離反の必然性を探ることができた。 もちろんイェイツの文学はもっと錯綜としている。イェイツは能の影響を受け、さらに大陸のモダニズムの運動も取り込んでいた。同じころ、ジョイスも大陸の都市トリエステ、チューリヒ、パリと移り住み、新しい思想に共鳴する文学を切り開こうとしていた。両者の方位は異なるものではない。それでもジョイスはイェイツの初期の作品にこだわり、その変貌を認めていない。実のところ、ジョイスの『ユリシーズ』の背後にはイェイツの大きな存在が揺曳している。そうしたジョイスのアンビバレントな姿勢についてはさらなる考察が必要だろう。
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今後の研究の推進方策 |
本研究は、アイルランドの文芸復興運動とジェイムズ・ジョイスとの関わり、とりわけ国家をめぐる女性表象の脱神話化という、これまでの研究の空白部を詳細に検証し、両者の運動の連動を詳らかにするものである。文芸復興運動は国民文学を目指したが、民族主義の一枚岩的な女性表象に奉仕することなく、主体的な女性像を模索した。ジョイスの女性像もその影響下にあるだろう。それに加え、女性表象の脱神話化をめぐる、インターテクスチュアルな関わりも、ジョイスの創作の牽引力であったはずだ。 そのような目的のため、2018年度はイェイツとジョイスの関わりを検証した。そして2019年度は「J. M. シングとジェイムズ・ジョイスの女性像」という課題の下、シングの一連の作品とジョイスとの連動を探りたい。シングは現実の女性に焦点を向け、脱神話化を試みている。その範例が劇『海に騎り行く者たち』(1904)である。主人公のモーリャは苛酷な自然に忍従する老婆で、イェイツの劇『キャスリーン・ニ・フーリハン』への批判が込められている。また『谷間の影』(1904)や『西国の伊達男』(1907)は、女性のセクシュアリティを赤裸々に描き、劇場で騒乱を誘発した。このようにシングの劇ではその出発からアイルランドの女性表象への抵抗が試みられていた。 こうしたシングの文学的な姿勢はジョイスのものでもあっただろう。ジョイスはトリエステで『西国の伊達男』の騒乱を羨み、チューリヒでは『海に騎り行く者たち』の公演も行っている。それでもイェイツと一線を画していたように、ジョイスはシングとも距離を保っていたと思われる。その点をめぐり2019年度には、ジョイスの背後に揺曳するシングの存在を検討したい。またイェイツとシングを比較することで、アイルランドの文芸復興運動におけるアイルランドの女性表象の脱神話化の意味を問いたい。
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