研究課題/領域番号 |
18K12489
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研究機関 | 名桜大学 |
研究代表者 |
山城 智史 名桜大学, 公私立大学の部局等, 上級准教授 (50794616)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 琉球併合 / 1870年代における条約改正 / 外交の連動性 / 米琉コンパクト / 日清修好条規 |
研究実績の概要 |
本研究は、1870年代の琉球から琉球藩へ、琉球藩から沖縄県へと変遷していく過程に焦点を当て、いわゆるこの琉球処分期に水面下で進められていた西洋各国の条約改正交渉に焦点を当て、特に英国と米国の対東アジア政策と琉球処分政策の関連性を明らかにすることを試みる。 本年度は、米国における史料の収集を進めることを課題とした。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、米国渡航がかなわなかったため、日本国内及び公開されているデジタル資料の収集に専念した。昨年度に英国(The National Archives , The London Library)で収集した史料と付き合わせることで、米英の東アジア政策がより鮮明になることがわかった。また「条約」という観点から分析すると、1853年から1854年に渡り琉球ヘ来たマシュー・ペリーの対日政策も琉球の存続に深く影響を与えていたことが明らかになった。琉球・台湾の地理的な位置付けから、琉球処分に対する米国駐日公使デロング(C.E.DeLong)、ビンガム(J.A.Bingham)らの対応、1879年に来清・来日した米国前大統領グラントの対琉球認識等、これらの関連する資料を紐付けていくことで、米国の東アジア政策、対清政策が浮き彫りになった。研究成果の一部を「明治初期における琉球併合と日清修好条規改正の連動性」(沖縄文化協会2020公開研究発表会予稿集)、「歴史学の力」(『名桜大学やんばるブックレット』2021年刊行予定)として発表した。 本年度の一つの成果として、明治政府の琉球政策の背景をペリー来航にまで遡り、米国・英国両政府の東アジア政策における琉球処分像を構築したことが挙げられる。次年度はこれまで収集・整理してきた資料を利用して、研究論文として発表する予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
英国(The National Archives , The London Library)における資料収集を経て、米国(The National Archives, Harvard - Yenching Institute)における資料収集を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、米国への渡航が困難となり、昨年度に引き続き本年度も調査渡航を中止とした。琉球に関する資料を中心とした従来の研究を基礎に、新たに米国の対東アジア政策、対中政策から本研究を進めていく予定であったが、米国での資料収集が進まないため(3)の評価とした。英国と米国の両国における東アジア政策を比較することで、日本の対琉球政策、それに伴う清朝の対日政策を明らかにすることができると考えている。今年度は米国における資料収集が課題として残っている。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、新型コロナウイルス感染拡大の影響によって米国ヘの渡航を中断することも視野に入れて、これまでの調査・収集・整理した資料を総括的にまとめる。日本国内で収集できる米国側、特にマシュー・ペリー、ユリシーズ・グラントに関する資料を利用して、本研究の成果としてまとめる予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
米国への渡航を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、実施することができなかった。そのため、渡航費として予定していた金額を次年度に繰り越す形となった。
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