研究課題/領域番号 |
18K12489
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研究機関 | 名桜大学 |
研究代表者 |
山城 智史 名桜大学, 公私立大学の部局等, 上級准教授 (50794616)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 琉球併合 / ペリーと米琉コンパクト / 1870年代における条約改正 / 日清修好条規 / 外交の連動性 |
研究実績の概要 |
本年度は、前年度に収集・整理した米国外交に関するデジタル史料を分析し、研究論文として成果発表した(「米琉コンパクトをめぐるペリー提督の琉球認識」(『環太平洋地域文化研究』No.3,2022))。本稿では、マシュー・ペリーが琉球とTreatyではなくCompactを調印した背景を明らかにした。先行研究では、琉球処分の違法性を議論する際に、琉球が米仏蘭と「条約を締結した」ことが前提となってきた。しかし、米国側史料には琉球との「条約」はTreatyではなくCompactとして記録されており、批准書の交換もされていない。本稿では、ペリーや米政府が琉球を国際的にどのように位置付けていたかを明らかにし、その後の琉球処分への影響を分析するための重要な前提を分析した。 琉球処分をめぐる清朝の対応について李鴻章の外交基軸から分析した(「琉球処分をめぐる李鴻章の外交基軸ー琉球存続と分島改約案」(『沖縄文化研究』49号,2022))。本稿で明らかにしたのは、李鴻章の琉球処分に対する対日外交基軸の一貫性である。これまでの先行研究では「分島改約案が調印されなかった背景」について、①清露イリ問題の影響論、②在清琉球人による救国運動の影響論がある。しかし、この二つの議論の前提となっているのは、清朝の琉球処分をめぐる対日政策に「変化が生じた」という認識である。本稿では、対日外交を担っていた李鴻章は一貫して日本の琉球併合を認めておらず、外交上のマイナーチェンジに留めていたことを明らかにした。これによって、日清修好条規改約と琉球処分という二つの外交問題は、日本側と清朝側の認識では大きく異なっていたことがわかった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、前々年度に英国で収集した史料に加え、米国のデジタル史料の収集・整理を進めた。また、既存の清朝の外交史料を再整理することで、新たな視点を研究に反映することができた。研究論文としての成果発表、史料の収集・整理が進んだことから(2)の評価とした。しかしながら、当初予定していた米国における史料収集は実現していないため、次年度の課題とする。
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今後の研究の推進方策 |
新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて、米国ヘの渡航がいまだ実現にいたっていない。米国駐日公使のデロング(C.E.DeLong)、ビンガム(J.A.Bingham)、M.C.ペリー、U.S.グラントに関する史料の収集は喫緊の課題である。次年度は渡米して米国ナショナルアーカイブスにおいて、本研究テーマに関する米国側の史料を収集する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
米国への渡航を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、実施することができなかった。そのため、渡航費として予定していた金額を次年度に繰り越す形となった。
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