研究課題/領域番号 |
18K12492
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研究機関 | 沖縄大学 |
研究代表者 |
前田 舟子 沖縄大学, 法経学部, 講師 (70802859)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | 琉球 / 冊封使 / 台湾 / 福建系貿易商人 / 満文档案 |
研究実績の概要 |
2年目となる当該年度は、主に台湾を中心に調査を実施した。前半に高雄や台南へ赴き、清代に福建から台湾へ渡った貿易商人の末裔を訪ねてインタビューを行った。それにより、福建系貿易商人らが台湾南部の発展に貢献したという様相を知ることができた。次に、1871年の牡丹社事件に関する史跡を網羅的に廻り、殺害された琉球人の墓碑のほか、日本軍上陸に関する顕彰碑なども調査した。結果、台湾の政権交代により、日本軍の顕彰碑が移転を繰り返していることが分かった。今回の調査では、当該事件で12名の琉球人(宮古島民ら)を救出した楊友旺の末裔を訪ね、楊友旺が祀られている一族の廟を見学させてもらい、さらに家譜を調査させて頂いた。 台湾嘉義県にある故宮博物院南院では、嘉義出身の水師である王得禄の展示「蔡牽与王得禄」を見学した。王得禄は、清代嘉慶4年(1799)に冊封使(李鼎元・趙文楷)一行を琉球に護送した際、海賊に遭遇したが、機転を利かせて見事に海賊を撃退した。台湾故宮博物院には王徳禄の列伝資料などが所蔵されており、帰国後の活躍を調べることができた。 台北の故宮博物院では、歴代の来琉冊封使の履歴資料(列伝含む)を調査した。2019年は、冊封副使徐葆光の来琉300周年であり、沖縄県内では、組踊誕生300年として多くの記念事業が行われたが、国立劇場おきなわが中心となって編纂した『冊封琉球全図』(雄山閣)もその一つである。今回、私が故宮博物院所蔵の徐葆光の履歴資料を閲覧していた関係で、その解説を担当させてもらった。 史料解読として、引き続き琉球関係の満文档案の解読を行っているが、夏に参加した追手門学院大学の承志教授主催の満文講座で、ハーバード大学で発見された琉球国王尚穆の乾隆帝宛の表文が紹介されたことから、この文書の書誌情報を調べ、新史料として発表した。そして、満文の翻刻と日本語訳も行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当該年度では、昨年度には果たせなかった福建商人の足がかりを掴むことができた。その手始めとして、清代に福建から高雄に移住してきた福建商人の末裔である藍家の子孫へのインタビューを行った。藍家の先祖には、清代の雍正年間に福建地方官を務めた藍鼎元がおあり、一族は現在も繁栄している。彼らの家譜を閲覧させてもらい、清代の貿易を軸に、福建と台湾の繋がりを考察することができた。だが、肝心の福建調査は2020年3月に予定していたところ、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまった。そのため、福建調査は次年度に実施したいと考えている。 前年度の課題として残されていた琉球関係の満文档案の解読だが、当該年度では毎週の満文研究会において地道に解読を進めており、沖縄県の歴代宝案事業とも連動して、次年度内にはおおよそ完成させる予定である。こちらは比較的順調に進行している。そうした中、年に1回開催される京都での満文講座において、乾隆年間の尚穆王の表文が紹介されたことから、該文書について調べたところ、中国第一歴史档案館に現存しない行方知らずの表文であったことが判明した。そこで、文書の内容を解読し、史料紹介文を執筆して『沖縄史料編集紀要』(第43号)に投稿した。この史料発見については、琉球新報の一面記事で大きく報じられた(2020年6月12日付)。 当該年度では、特に実地調査と満文解読に時間を割いてしまったため、評価貿易の業務日誌の分析を行うことができなかった。それでも、評価貿易資料の周辺状況として、尚家文書に所収される一連の「冠船関係資料」の全体把握を行ったので、次年度には評価貿易日記の解読作業を完成させたいと考えている。 このように、当該年度では、昨年度から引き継いだ課題に取り組みつつ、次年度の研究に向けて新たな手がかりを得ることができたため、「おおむね順調に進展している」と判断した。
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今後の研究の推進方策 |
3年目となる次年度では、1、2年目に実施した中国・台湾での史料収集や史跡調査の結果を踏まえ、評価貿易そのもののシステム構築について論じる予定である。「評価(ハンガーと読む)」とは何なのかを考察し、琉球側と福建側の評価貿易に対する認識の異同について明らかにしたい。そのために、まずは評価貿易の研究史から整理し、評価貿易の成立過程をもう一度洗い直してみたいと考えている。進貢貿易については膨大な研究蓄積があり、どのようにして琉球の国家事業へと発展していったのかを知ることはできるが、評価貿易に関しては不明な点が多い。例えば、清代には琉球の進貢使節が全体で200人に限定され、上京使節は20人程度に制限されるが、評価貿易の場合は来琉する冊封使節団の人数に対して、清朝と琉球側はどちらも数字を規定している様子は窺えない。それは、評価貿易に従事する福建商人たちが、冊封使節団に組み込まれて派遣されるからであるとも考えられるが、果たして、評価貿易は中琉関係において、どのような外交事業として位置づけられていたのか。そうした基本的な問題を探るべく、次年度は評価貿易そのものに焦点を絞って研究を進めていく予定である。 従って、次年度の作業としては、①琉球の尚家文書の解読を中心に行い、②並行して中国の漢文档案文書や満文文書の中から関連する記載を抽出して解読を行い、③福建商人の家譜などを多く集めて清朝側からみた評価貿易の意義について捉えていく予定である。これらの作業を通じて、評価貿易の実態解明に努めたい。
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