本研究は、明治期の漢学塾の関係史料を悉皆的に調査することで、近代日本の知識人の思想形成における漢学の役割とその知的ネットワークの広がりを明らかにすることを目的としたものである。 主な研究対象は、天保4年から明治45年にかけて現在の新潟県燕市に存在した漢学塾である長善館とその館主・塾生の思想と行動であり、これらを明らかにするために使用する主な史料は新潟県公文書館所蔵「長善館学塾資料」、燕市長善館史料館所蔵「長善館史料館所蔵資料」、筑波大学附属図書館所蔵「鈴木虎雄関係史料」等である。 これらの史料に史料学的手法をもってアプローチし、長善館に関する史料の全体像とその構造を把握し、また史料内容を解読することで、幕末から明治期にかけての漢学塾がいかにして近代化を遂げたか、また地域において漢学塾を結節点としていかなる知的ネットワークを構成したかを考察した。 昨年は、中野目徹・田中友香理ほか編『長善館史料館所蔵目録』(燕市教育委員会、2017年)や中野目・田中『鈴木虎雄』(中野目研究室、2013年)、田中「家族 長善館と鈴木家」(中野目『近代日本の思想をさぐる』吉川弘文館、2018年)を踏まえ、一方では館主家族のに着目し、中野目監修『日記で読む長善館』(燕市、2021年3月、第5、6章翻刻・解説担当)で、館主の日記の翻刻とその解説を試み、あわせて館主の弟の鈴木虎雄に影響を与えた岳父陸羯南の思想と行動についても中野目・田中編『陸羯南高橋健三往復書簡』(田中研究室、2021年)において明らかにした。さらに一方では、塾生の広がりに着目し、西蒲原土地改良区や大竹邸記念館、塾生の御子孫宅での資料調査を実施し、大竹貫一と萩野左門(塾生)が県会議員、国会議員として携わった大河津分水工事を例として、その「国土」と「治水」の思想と地域における役割を明らかにした。
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