研究課題/領域番号 |
18K12512
|
研究機関 | 高野山大学 |
研究代表者 |
坂口 太郎 高野山大学, 文学部, 助教 (50724142)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
|
キーワード | 公武権力 / 後醍醐天皇 / 北条氏得宗 / 『吉田定房奏状』 / 『別尊要記』 |
研究実績の概要 |
本年度は、下記のテーマに即して研究を進めた。 (1)【密教聖教の調査・研究】鎌倉後期の公武権力と真言密教の関係について、史料調査を行なった。とくに、高野山大学図書館に寄託された金剛三昧院所蔵の聖教には、鎌倉後期の真言僧に関わる史料があり、北条氏得宗や安達氏に関する内容も見える。重要なものから、順次翻刻に取り組んでいる。 また、院政期の心覚が撰述した『別尊要記』第4帖の翻刻を公表し、同書が『雑筆要集』の原史料であった事実を指摘した。『別尊要記』を披見できるのは真言僧に限られることから、『雑筆要集』が寺院社会で成立した可能性は高いと考えられる。 (2)【「吉田定房奏状」の研究】鎌倉後期の政治史研究の一環として、「吉田定房奏状」(『醍醐寺文書』所収)を再検討した。この「奏状」は、後醍醐天皇に対して、吉田定房が討幕計画を諫めた意見書として知られる。村井章介氏は、「奏状」の初稿が元応2年(1320)に上奏され、翌元亨元年(元応3年、1321、辛酉革命の年)にも改稿が上奏されたと論じる。そして、定房による諫言には、後醍醐の暴走を憂慮した後宇多院の意向があったとする。 この村井説は通説的な位置を占めるが、その根拠となる「革命之今時」(「奏状」第8条)という表現は、書写者の誤読に起因するものであり、正しくは「革命之。今時」と区切るべきである(「革命」は、周の武王による放伐の故事)。さらに、吉田定房は、元応3年(元亨元年、1321)の改元定で辛酉革命説を否定しており、この点からも「革命」を辛酉とは解釈できない。現存の「奏状」を改稿と見做す点も含めて、村井説は成り立たず、その政治史理解にも再考が必要である。また、「奏状」を「定房の奏状に非ず」とする河内祥輔氏の説もあるが、これも「奏状」と関係史料の誤読を犯しているため、妥当性を欠く。 以上の私見については、近々に論文として公表する予定である。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究遂行に必要な未刊の密教聖教について調査するとともに、重要史料の『別尊要記』第4帖を学界に紹介した。また、鎌倉後期の政治史研究についても検討を進めている。
|
今後の研究の推進方策 |
本年度に引き続き、高野山大学図書館に保管される密教聖教の調査を進めるほか、東京大学史料編纂所、神奈川県立金沢文庫などにも出張して、史料の発掘につとめる。
|
次年度使用額が生じた理由 |
旅費の見込額が、実際の額よりも若干低かったため。 繰越金は、次年度の図書購入費もしくは旅費として使用する予定である。
|