研究課題/領域番号 |
18K12512
|
研究機関 | 高野山大学 |
研究代表者 |
坂口 太郎 高野山大学, 文学部, 専任講師 (50724142)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
|
キーワード | 保寿院流金玉方高野伝 / 『保寿院流血脈私』 / 高野山一心院 / 南朝 / 後醍醐天皇 / 長慶天皇 / 忠禅 / 文観 |
研究実績の概要 |
本年度は、新型コロナウィルスの感染拡大という不測の事態が発生したため、当初の研究計画を大きく変更せざるを得なかった。変更後の研究計画にもとづく研究成果は、以下の通りである。 2020年7月に高野山西南院の聖教調査を実施した際、室町時代初頭の成立と考えられる『保寿院流血脈私』という新史料を発見した。これは、真言密教の一流である保寿院流金玉方高野伝(以下、高野伝)に関する古血脈であり、従来知られていなかった高野伝の師資相承の歴史を詳細に伝える点で、重要な史料的価値を有する。そこで、『保寿院流血脈私』の全文を翻刻し、その他の関係史料をも参照しつつ、高野伝とその拠点であった高野山一心院について研究した。 従来、中世前期の高野伝については、その実態がほとんど不明であったが、 『保寿院流血脈私』にもとづいて検討を加えると、高野山の僧侶だけではなく、一心院で学んだ京都の権門寺院や地方寺院の僧侶にも、幅広く相承されていたことが明らかとなる。また、高野伝の拠点であった一心院とその院内の寂静院は、鎌倉中期以降、高野山において独立的な性格を顕著にしており、南北朝時代に入ると、南朝の後醍醐天皇や後村上天皇から幾度も綸旨を受給し、祈祷・仏事などを積極的に勤仕していた。とくに、高野伝の相承者である忠禅が明徳五年(1394)に記した「御舎利惣目録」(高野山金剛三昧院蔵)によれば、忠禅は譲位後の長慶天皇から仏舎利を下賜されるなど、格別の待遇を受けていたことが知られる。 以上の史実を踏まえると、高野伝とその拠点である一心院は、中世前期の高野山史において、特異な光彩を放った存在であると評価できよう。なお、本研究の過程で、後醍醐天皇の護持僧であった文観の自筆を含む印信を、高野山西南院において確認した。この成果については、「毎日新聞(和歌山版)」2020年11月25日朝刊で報道され、多くの注目を集めた。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
新型コロナウィルス感染拡大のため、当初予定していた東京都・京都府、その他の地域における史料調査が、実施困難となったため。
|
今後の研究の推進方策 |
新型コロナウィルスの感染拡大が続いているため、研究計画を柔軟に変更しつつ、研究を推進する必要がある。今後は、研究代表者の勤務地に所在する高野山大学図書館や、山内寺院での史料調査に重点を置くことを考えている。
|
次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウイルス感染拡大のため、当初予定していた史料調査を実施できなかったため。
|