清朝滅亡前後、革命派は支配者たる満洲と、被支配者たる漢人の関係は一貫して緊張関係にあったかのように叙述した。しかし、19 世紀後半以来、清朝はむしろ「漢」文化の庇護者として認識されていた。18 世紀、漢人人口の増加にともない、清朝領内の漢人経済の占める割合が急速に拡大し、また開拓地の飽和により暴動が増加したのに対し、清朝が漢人に配慮した政策を取るようになった結果である。本研究は、経済史・政治史的な背景の検討を通じて、19 世紀初頭の清朝の清朝中期の漢地政策の展開を、変動する政治・社会経済構造への対応として再評価したうえで、「漢化」ゆえに硬直化したその政策傾向を指摘する。
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