最終年である本年度は、これまでの研究成果のまとめを中心に研究を進めた。 本研究を通じて、これまで研究がなされてこなかった植民地期における陵園墓の管理体制を明らかにすることができた。これにより植民地期と現在との間の、朝鮮王朝の神聖空間に対する認識の差異が明瞭となった。 朝鮮時代まで、王家の墓所である陵園墓には、祭祀と敷地の管理を担当する官員が置かれたが、植民地期には、それとは別個に陵園墓付属林野の管理を担当する部署が、李王職(李王家の家政を担当する機関)内に置かれるようになった。 その主な目的は、陵園墓付属林野を利用した林野経営であり、そのため李王職では、韓末に国有化した陵園墓付属林野の返還を求めて朝鮮総督府と交渉を繰り広げ、返還後には林業経営の効率化を目的に、朝鮮各地に点在する胎室(王のへその緒を奉安した所)と、小規模の墓所を西三陵(現京畿道高陽市に位置)へ移転・移葬させ、その敷地を売却し新たな林野購入の資金に充てた。 現在韓国では、このような植民地期の朝鮮王朝の神聖空間の解体について、日本による民族精神の毀損を目的とした神聖空間の「格下げ」であったと説明されている。しかし胎室の移転を報道する植民地期のメディアの論調からは、批判的な視点は見つけられず、また植民統治が終わった1945年以降も、墓所の移葬が継続して行われており、朝鮮王朝を民族の表像と見做し、王朝の神聖空間の解体を批判する視点は、1945年以降、さらにそこから一定の期間を経た後に形成されたものであることが指摘できるのである。
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