本研究課題の目的は、地球規模の寒冷期に相当する紀元前一千年紀前半の、縄文晩期の亀ヶ岡社会が初期農耕社会へと変容したプロセスを、社会システムの変容に着目した多角的視点から明らかにすることである。紀元前一千年紀前半とは、おおよそ紀元前10世紀から同5世紀に相当し、考古学的には縄文晩期中葉から弥生前期までの期間を指す。この時代の東北地方では精巧な土器や漆製品で知られる亀ヶ岡文化が栄えていた。かつてはその後半段階に文化的停滞や社会の縮小が起こったと解釈されていたが、近年は西日本まで亀ヶ岡系土器や漆製品が分布することが指摘され、亀ヶ岡社会と初期の弥生社会とを結ぶ交流関係があったことが明らかにされている。また気候変動も高精度に復元され稲作農耕の広がりとの関係が議論されており、亀ヶ岡社会の変容を多角的に問い直す作業には一定の意義がある。 本研究で分析対象とした地域は秋田県の雄物川流域である。第一に、大規模集落遺跡である上新城中学校遺跡(秋田市)の発掘調査を過年度に実施し、居住域を囲む溝跡の年代を特定し木柵との関係を検討することで、当該期における居住システムの特徴を明らかにした。第二に、代表的な低湿地遺跡である鐙田遺跡(湯沢市)出土遺物の再整理を研究期間全体を通して、またボーリング調査は今年度にそれぞれ実施し、縄文後期に始まる遺跡の継続期間と環境変動との関わりを考察した。同遺跡から出土した土偶等の土製品の編年を提示し、当該期の祭祀システムの変容の実態を論じた。本研究課題の成果について書籍及び科研費報告書として刊行した。 本研究では縄文晩期後半における居住・祭祀システムの変容プロセスを明らかにした。特に土偶・土製品の研究によって亀ヶ岡文化研究全体に貢献する事ができる。また溝跡の構築が縄文晩期全般に渡ることを明らかにできたため、今後日本列島全体を対象とした研究へと発展させることが期待される。
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