研究最終年度である2023年度は、これまで蓄積した現地調査のデータを精査・分析した上で周辺地域における情報を収集し、最終報告書をまとめることに尽力した。結果、『天山山脈北麓における定住‐遊牧社会関係史の再構築―キルギス共和国北部、チュー渓谷西部の考古学踏査―』と題する書籍を刊行した。 本研究では、キルギス共和国北部に東西に横たわるチュー渓谷の西側を調査対象として考古学踏査を実施し、同地を横断していたシルクロード天山北路がどのような経緯でいつ頃形成されたのか、また、天山北路沿いに築かれた交易都市とその周辺の遊牧民がどのように相互に関わっていたのか、そして、その相互作用が天山北路の形成にどのような影響を及ぼしたのかについて明らかにすることを目的としていた。考古学踏査は、南の天山山脈北麓から北の沖積平野までの広範囲で計94件の遺跡を記録した。これらには既知の14遺跡が含まれ、このうち6遺跡は交易路沿いの拠点都市・町である。分布状況を種類別に見ると、円墳(クルガン)等の葬祭遺構(41.0%)が最も多く、遊牧民に帰される囲い込み遺構を主体とする生活遺構(37.1%)がこれに次ぐ。時期別にみると、後期青銅器時代(前1000~800年)から近代に至るまで認められ、鉄器時代前期(前8~前3世紀、クルガン13件)と中世後期(9~12世紀、20件、うち都市・町は9件)における遺跡数は他時期に比べて多い傾向がある。また時期不詳な36件のうち最多数を占める囲い込み遺構(26件)について分析を行い、小型円形遺構が10~12世紀に造られた可能性を示唆した。 以上から、チュー渓谷西部では鉄器時代に騎馬遊牧民の活発な活動があり、中世前期(6~8世紀)にソグド系植民都市が建設されるに及び、これ以後、定住民と遊牧民との間の緊密な関係の下に、シルクロードをはじめとする地域文化が形成されたことが明らかになった。
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