本研究はカンボジア中でも衰退の時代と考えられてきたアンコール王朝末期からポスト・アンコール期にかけての王都出土遺物の調査をもとに、当時の社会・経済・宗教的変容について検討を試みるものである。アンコール王朝末期に位置づけられるアンコール・トム内の西トップ遺跡出土陶磁器に関しての調書作成、ポスト・アンコール期の王都であるロンヴェークにおける遺構・遺物調査、スレイ・サントーにおける現地での遺構・遺物分布調査をそれぞれおこなった。 西トップ遺跡に関しては、インヴェントリー作成のほぼ最終段階に達することができた。ロンヴェークにおいては、当初想定していたよりも大きな成果をあげることができた。 現地での遺物採集調査により、量・質ともに高い16世紀代の輸入陶磁器の出土を確認することができた。ロンヴェーク政権はアユタヤと政治的対立を続けていたにもかかわらず、出土遺物から見る限りは相当量の交易をおこなっていたことが垣間見られる結果となった。 スレイ・サントーに関しては、バサンの丘という地名が残るプラサート・プレア・ティエット・バライにおいては聞き取り調査ならびに考古学調査をおこない、アンコール期のクメール陶器・土器を中心に14世紀頃の中国陶磁を多く確認した。もう一つのバサンの地を調査する予定であったがコロナ禍のため実施することができなかった。 そのため当該期のカンボジアがどのように海外と貿易を進めていたか、さらに理解を進めるために日本・カンボジア間貿易を一時例として長崎・平戸・波佐見において文献調査ならびに現地調査を行った。 コロナ禍のため、調査が制限された部分もあるが、アンコール末期からポスト・アンコール初期にあたる14世紀から16世紀にかけての陶磁器の様相を把握することができた。とりわけ16世紀にロンヴェークでは相当量の遺物量を確認し、衰退の時代と言われた中でも積極的に対外貿易をおこなっていたことが判明した。
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