研究課題/領域番号 |
18K12610
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研究機関 | 沖縄国際大学 |
研究代表者 |
及川 高 沖縄国際大学, 総合文化学部, 准教授 (60728442)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 奄美群島 / 自治 / シマ社会 / 近代民衆史 |
研究実績の概要 |
当該年度は所属部局におけるスタッフの入れ替わりなどがあり、当初予定していた夏季の調査日程が確保できなかった。そのぶんの現地調査は2~3月期に計画し、現地との調整も住んでいたものの、COVID-19のために実現できなかった。こうした経緯のために、本計画が主とする現地史料の発掘という事業は、大きく遅滞している。具体的には、喜界島、奄美大島の一部、徳之島、沖永良部島に関して、調査が行き届いていないのが現状である。 現地調査を別にすれば、研究そのものは着実に進展しており、2020年度内にこの計画に基づいた2点の学術論文を完成させた(現時点で1点は刊行済み。もう1点は現在校正の段階にある)。これらは近代奄美群島において、村落社会・地域社会の自治がいかに立ち上がってきたのかをそれぞれの角度から明らかにしたもので、これまで日本社会史の理解の上で空白となっていた南西諸島の村落自治の民俗に関して、事実関係レベルで基礎的見解をもたらしたものと自己評価している。具体的には、奄美群島の村落自治は、近世までは在地役人の意向の強い上意下達型の構造にあったといえ、逆に住民自身による裁量や権限は乏しいものであった。しかしながらそうした構造は、明治時代後期以降に変容し、その変化は集会所設備が地域に置かれるなどの動きから読み取ることができる。他方で、「シマ」と称されるような集落を越えた自治意識の発生には、奄美村落社会の構造のために制約があったとみられ、明治末期から大正にかけては、主に移入宗教である神社神道を一つの核として、自分たちの自治を立ち上げてくる動きがあったことも確認できた。 こうした自治構造や意識の変化は、その後の太平洋戦争における人々の動きや、戦後における本土復帰運動にもつながってくる問題である。本研究は既に与論島において、これらに関わってくるような史料の発掘に成功しているが、同様の調査を続けていく予定である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
所属部局におけるスタッフの入れ替わりのため、勤務校の業務に追われて、夏季には研究に対して当初予定していたエフォートを確保できなかった。また2~3月期にはCOVID-19への感染拡大対策のため、現地調査そのものに制約が課せられる状況が続いた。結果的に、研究計画の遅れを取り返せないまま、年度を終えることとなってしまった。
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今後の研究の推進方策 |
現地調査に重きを置く計画であったために、COVID-19の終息によって大きく左右されざるを得ない。現時点では研究計画を1年延長し、当初予定の現地調査までは実現させたいと考えている。一方、既に得られている資料にもとづいた、研究室における研究は順調に進んでおり、上記のようにすでに2点の論考をまとめるなど、本計画が予定していた奄美社会像の解明には一定の見通しがつきつつある。まずは今後の1年で可能な限りの調査を実現したいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
所属学科の構成員のうち年度内に2名が異動し、さらに1名が1年の学外研修へ、1名が年度始より病気療養のため欠勤するという状況に陥ったため、教育および学内業務に追われて研究、特に現地調査の調整と実施のためのエフォートが全く確保できなかった。この状況は年末には落ち着きかけたものの、今度はCOVID-19の感染対策のために現地調査が実現できず、結果的にほぼ予算の執行がかなわなかった。基本的にこの計画は、現地調査の渡航費用を中心に予算を組んでいるため、これが実現しないと予算執行が滞らざるを得ない。これを踏まえ、現時点で既に研究計画を延長することを考えているが、COVID-19が年内程度で終息しない場合には、大きく計画を見直す可能性も検討することとなる。
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