大正・昭和戦前期の法学は、法制史では明治期の連続性の中で、実定法学では現代の一部として捉えられてきた。しかし、我が国の法学は大正期に欧米からの法制度の無批判的摂取の段階を脱し、自らの使命を明確に自覚した上で、独自の方法論を展開させた。この時期に形成された法学方法論が次世代の法学者に継承され、日本独自の法・法学が形成された。従って、この時期の法学を分析することが、現代の法学の特殊性の解明に繋がると期待される。 以上の認識の下、本研究では、家族法学者穂積重遠に注目し、彼の学説形成の実際を、その背景にある個人史的・社会史的研究と交錯させ、多角的に分析することで、外国法を基盤としつつ裁判実務、伝統的価値観など諸種の要素を総合していく過程を明らかにした。穂積の法学を分析するためには、(1)社会的問題への対応(社会問題の認識の程度、社会問題の学説への取り込みの態様)、(2)外国法・学説の摂取の態様(継受法の理解、新しい外国学説や思想の摂取の態様)、(3)日本の伝統的価値観(儒学・国学)との向き合い方という3つの観点を据えることで、穂積重遠の活動の全体像を捉えることが可能である。(1)および(2)は、穂積の親子論および離婚論に関する研究成果を出すことができたが、コロナ禍の影響で(3)を遂行することは出来なかった。また2020年度は、コロナ禍での影響より、発表の機会が得られなかったが、今までの研究成果と、さらには穂積法学の大正時代における位置づけをより明確化させるため、同時代の内務官僚たちの労働組合法制定にむけた取り組みを分析することで、穂積法学が、継受法そのものを正面から否定したり、改変するのではなく、それと併存するかたちで、「条理」や「調停」を多用することで、巧妙に日本的「生ける法」を問題解決の場に持ち込むことを目指すものであったことを明らかにした。今後、論文と学会報告で発表する。
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