研究課題/領域番号 |
18K12709
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
濱野 靖一郎 法政大学, ボアソナード記念現代法研究所, 研究員 (10774672)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
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キーワード | 松平定信 / 頼山陽 / 日露 / 外交思想 / 林鶴梁 / 関藤藤陰 / 川路聖謨 |
研究実績の概要 |
松平定信が本研究の中心で、昨年度は「大学」の注釈書を見つけることで、これまであまり研究されてこなかった定信の儒教への理解に対し、重要な足がかりを見つけることが出来た。2020年度はこれを中心とするため、定信が多くを依拠したとされる室鳩巣の大学解釈を始め、定信が参照し得た大学注釈やそれへの研究を整理し、定信の儒教理解を論ずる足がかりを掴むことが出来た。 ただし、定信は儒者では無い。それゆえ、大学に対するどのような注釈を施したか、は重視すべきではない。その内容が同時期の専業儒者と比較してその高低を述べることはナンセンスである。この大学解釈は白河藩主になったばかりの時期に書かれたものである。そして、『政語』等の政治に関する著作の多くが20代後半という比較的近い時期に書かれている。こうした政治論・政策論に儒教理解がどれだけ活かされているか、ということである。まず、若年期に於ける儒教理解と政治論の関連により重点を置く。 また、松平定信に於ける外交思想は本研究の主要なテーマである。資料や調査の状況から、その点については多少ならぬ修正を現在加えている。本研究は徳川後期から幕末にかけて、「日本」観「世界」観がどのように変わっていくか、という関心のもと、切り口として化政期の対外認識を整理するために定信を対象としていた。 そのため、むしろ定信の外交政策をそれ以降の人々がどのように受け継いだのか、をもう一つの切り口にしていきたい。寛政期のロシア船来寇から川路聖謨による日露外交まで、通史的に検討して行く。とりわけ、定信の学校政策の成果ともいえる昌平黌で学んだ人々の交流に重点を置く。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
現在の職務状況が最大の障壁である。また、どうともし難いものとして、今回のコロナ禍が挙げられる。このため、2月から4月にかけて想定していた調査出張を全て断念し、新たな資料はネット上で購入できる古書に限られてしまった。自宅で所有する資料だけで研究するのは、これまでに収集できた資料に制限される。今後ともこの状況があまり変わらないとすれば、資料をこれから収集することは難しい。そうなると、大幅な路線変更を迫られる。 松平定信の政治思想という根本的なテーマは変更しないと雖も、定信に関係のある各地の点在する資料の収集、という手法は断念せざるを得ない。それ故、それ以前にも収集していた頼山陽とその弟子の資料を踏まえ、定信を中心とした寛政から化政期の対外政策が、天保期にどのように理解し、受け継がれていったのか、という定信受容研究に方針を変更していく。定信研究自体は「大学」解釈を中心に続けるが、既に刊行されている資料を積極的に活用していく。
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今後の研究の推進方策 |
中国の科挙官僚は、学者と政治家を兼ねた存在であった。それ故、良くも悪くも、経書の解釈はその人の政治的発言と関連する(政策それ自体に反映されるかと言えば、それも今後検討されるべく、また解釈の違いが出て来る点であるだろうが)。しかし、日本とりわけ武家政権時代の為政者はまったく学者などでは無い。綱吉公が好学といえるくらいで、経書解釈と統治の関連は見いだし得ない。 本研究は当時の実質的最高権力者にして飛び抜けた知識人でもあった定信を中心に、儒学理解と政治・政策がどのように関連するか、を整理するものといえる。また、その昌平黌の成果ともいえる天保期の若手侍官僚達における、儒学理解と統治という視座を踏まえ、徳川日本に於ける学問と政治、という論点で整理していきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
想定ほどの調査出張に行くことが叶わなかった。2020年度の各図書館・資料館の状況を考え、複写依頼による郵送で必要資料を集めることでの使用を想定している。コロナ禍のおさまり次第とはいえ、罹患しないよう充分安全に留意した出張も可能なら行いたい。
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