研究課題/領域番号 |
18K12731
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研究機関 | 名古屋商科大学 |
研究代表者 |
兪 敏浩 名古屋商科大学, 国際学部, 准教授 (80530245)
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研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2022-03-31
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キーワード | デタント / 1970年代 / 中国外交 / 日中航空協定 / 日中平和友好条約 |
研究実績の概要 |
2020年度は重点的に1970年代の中国外交について研究に取り組んだ。 研究の結果、1970年代の中国外交に最も大きな影響を及ぼした要因は米ソデタントであったとの結論に至った。1972年のニクソン訪中および日中国交樹立を経て、ベトナム平和協定が視野に入った頃から中国は反ソ統一戦線外交を戦略的に進め、その勢いで米中国交を実現し、台湾問題も解決する外交目標を定めた。対日関係もこの戦略の一環として推進された。しかし1973年6月の米ソ首脳会談にみられるデタントの進展、そして台湾との水面下の交渉が暗礁に乗り上げたことにより、この外交目標を実現する見通しが不透明となった。中国はアンチデタントを掲げながら、台湾問題については妥協の余地がないとの硬直した外交姿勢に転じたが、これは米ソデタントが進む中で安全保障と革命国家のナショナルアイデンティティの確保という二つ目標を同時に追求するための方策でもあった。このシフトが対日関係においては日中航空協定交渉、日中平和友好条約交渉と重なり、中国側の強硬な姿勢の背景となったのである。1978年から中国の対外姿勢が柔軟に転じるが、ここには政策決定層の変化に加えて、中国がデタントの限界に対して確信を持つようになったことが重要な背景をなした。 1970年代の日中関係についてはこれまで日中航空協定をはじめとした複数の実務協定と日中平和友好条約に関する事例研究が存在するものの、マクロな構造分析を行ったものは少ない。本研究では1970年代における米ソデタントと中国の外交戦略の関連性および中国外交戦略の一環として対日外交が展開された論理とメカニズムを明らかにすることにより、この時代の日中関係についてより俯瞰的な視点から理解を深めることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
主として文献調査方法に依拠するマクロ構造分析は進んでいるが、政策決定過程に関する研究はアーカイブでの現地調査活動に大きな障害が生じたことにより計画通り進んでいない。特に1973年の政策決定過程を解明することは本研究の遂行において重要な作業であるが、この部分については現在二次資料に依拠して行っているのが実情である。
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今後の研究の推進方策 |
今後は次の方法で研究活動を進めていく予定である。 ①引き続き二次資料を幅広く渉猟しながら、新しい情報の発掘に務めることに加えて、言説とコンテンツの分析を強化していきたい。②海外出張が可能になったら積極的に現地に赴き、一次資料調査に取り組みたい。海外渡航が難しい事態が続けば、現地協力者に協力を依頼するなど、予算の限度内でできる限りのことはしたい。 2020年度は主に日中国交正常化から日中平和友好条約までの時期を研究対象にしたが、今後は次の内容についても研究を進めていきたい。 ①佐藤内閣末期から日中国交正常化に至るまでの中国の対日外交。②1980年代半ばの中国内政と対日政策の関連。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ事態を受け、2020年2月よりマルチアーカイブ調査活動を中止せざるを得なくなり、実際の研究活動が計画より遅れが生じたため、一年間の延長を申請し、承認を受けた。次年度は海外資料調査を行いたいが、もし海外渡航が困難な状況が続くとしたら、より精力的に二次資料の収集、精査、分析作業を進めていきたい。
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