戦後アメリカ移民政策の特徴の一つに高度技能移民の受入を拡大したことがある。本研究の目的は、戦後アメリカ移民政策の展開に企業・経営者の果たした高度技能移民の受入をめぐる役割・影響力を検討し、戦前の政策との繋がりを検証することにあった。 戦前のアメリカ移民政策において企業経営者たちは、移民法の成立過程に産業界の利害を反映させながら、労働市場に配慮した労働力供給システムを制度化し、経済界の利する人材獲得を実現したことを明らかにした。 戦後アメリカはアジアからの高技能移民を大量に受け入れたが、その背景には、国防産業などの発展、科学技術者その他の専門職従事者の需要が高まったことがあった。国内では供給しきれない分野での労働力が必要とされたのである。アメリカはエンジニアなど国外の人材発掘、人材の育成に力をいれたが、その中心はインドであった。これを資金面で強力に後押ししたのがアメリカ巨大財団であった。ロックフェラーアーカイブスで収集した財団のインドに対する技術援助に関する史料によれば、フォードやロックフェラー財団の資金援助によって米印間の技術者交流は活発に行われた。 特にフォード財団は、現地での人材育成だけでなく、アメリカに留学生や訓練生(鉄鋼業など)を受け入れ、さらにインド工科大学の設立に協力するなど、インド人技術者の養成に大きな影響力を与えていた。インドは、欧米から先端的科学技術を吸収し、その後インド人技術者の一部はアメリカへの転出を繰り返したのである。この留学生や訓練生を受け入れる際の法的根拠は1952年移民・国籍法であった。インド人技術者がアメリカに流入することを可能にしたのは同法の影響が大きかったことは確認できたが、現在のところ戦後の移民法改正とアメリカ経済界の直接的な関与を示す実証研究は、まったく不十分である。日本経済評論社から出版予定の共著に本研究の成果を発表する予定である。
|