1990年代前後、日本統治期に日本で命を落とした朝鮮半島出身者を追悼する目的で市民によって追悼碑が建立された。それに対し「市民」が異議申し立てを寄せ始めたのは、2010年代中頃のことである。「市民」間での意見や認識の相違は、ある団体内部をのぞいてみれば多様な意見や考えがあるというレベルを超え、日本社会で「埋められなかった溝」が、追悼碑が示す記憶に反対の意を強く示す人たちと、それを守ろうとする人たちの衝突、軋轢として噴出しているものと考察した。本研究では国際文化学的に、直接的に人々の生活、人々の生きかたに影響を及ぼす国際関係の現象として分析した。
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