本研究は、日本の国立公園のアイデンティティー獲得のための造園史研究である。現在、 国策的なインバウンド観光の推進の手段として国立公園が位置付けられている。これに伴 い国立公園の方向性の転換が生じており、インバウンド観光への対応の円滑化のために も国立公園とはどういった制度・空間であるのかというアイデンティティーが問われる。 そこで、本研究では、日本型国立公園のアイデンティティーの構築とも関わる自然資源と歴史文化資源をめぐる相克という観点から、昭和初期の国立公園の計画思想及び、国立公園がどのように実体化してきたのが、思想と実態のズレに着目した。 日本において国立公園は、田村剛(林学博士)を中心に、理念的にはアメリカの原生自然風景型の国立公園をモデルに導入された。国土から大まかな位置を選ぶ「国立公園の選定」時においては、日本とアメリカの違いは表面上は問題とならなかったが、具体的な地域を指定する局面においては、必ずしも一円的に原生自然風景地として価値づけられる空間のみで国立公園を指定することはできなかった。そういった空間に対応するために、国立公園法の条文が変更されていることを把握した。また、戦中期において、国立公園に関する予算が僅少となる中においては、幻の東京五輪や紀元二六○○年祭との関係で国立公園の施設や計画の拡充が図られ、その結果として戦時体制下の国粋主義的な文脈と関連のある場所の施設整備が計画されたことを把握した。このように、国立公園の実体化においては、理念的には国立公園は原生自然風景地として価値づけられていたが、それとは異なった価値観において、国立公園の実体化も進められていたことを把握した。
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