約38億年前に海の中で生命が誕生して以降,水への適応力を身につけながら生命が進化を遂げてきたことは紛れもない事実であり,1937年にノーベル医学生理学賞を受賞したセント・ジェルジ博士がmatrix of lifeと表現した水が生命活動の中核をなすことは想像に難くない.しかし今日の分子生物・細胞生物学ではタンパク質やゲノムを軸に細胞内で繰り広げられる生命現象を事細かに描き出すことに成功している一方で,細胞内の大半を占める水分子に関する理解は驚くほどに少ない.これは,生命活動に重要であると誰もが漠然と理解している“水”は現在の生命科学において「未知なる生命のバッファー」でしかいないことを示唆している. そこで本研究では、これまで独自に技術構築を進めてきた全反射減衰テラヘルツ時間領域分光を細胞測定用に特化させることで,高精度で細胞内水の物性変化を評価できるようになることを目指す.そしてその新規測定系を用いて,外的影響によって定常状態から変化していく細胞内での水の状態変化を定量評価することで,水分子の生物学的な役割を理解する. 独自に構築した全反射減衰テラヘルツ時間領域分光測定系を用いてin vivoでヘアレスマウス中の水分子ダイナミクスを解析したところ,生細胞中と死細胞中ではバルク水:水和水の存在比率が有意に異なっていることが見出された.これは生体高分子の機能発現に直接関与する水和水と,増大するエントロピーの受け皿としてはたらくバルク水の絶妙なバランスが生命活動を下支えしていることを示唆するものである.また,外的影響として純水と化粧水をマウスに塗布したところ,構成成分中に占めるバルク水割合の少ない化粧水のほうが生細胞・死細胞両方に対してより高いバルク水の供給能力を示すことが明らかになった.
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