本研究の目的は、関東大震災(1923年)からの復興に向けたスポーツ界の対応を明らかにすることである。首都圏の大半が焼失し、10万人超の犠牲者を出した未曽有の大災害を前に、大正・昭和初期のスポーツ界の中心にいた人々は、何を考え、どのような行動を起こしたのか。 全体総括としての今年度は、研究成果に関する原著論文の執筆・投稿(スポーツ人類学研究)と国際コロキウムでの話題提供(オンライン口頭発表)を行った。前者では、関東大震災後の東京市(上野公園)で開催された「慰安運動会」について分析し、その中に「対抗しつつ,結果として親和を創出する」という一種の祭礼性が存在したことを明らかにした。当時の東京市では、娯楽は“不要不急”の類ではなく,むしろ極めてエッセンシャル(不可欠)なものとして認識され、その一環で運動会が開催されたのである。このスポーツを通した“生”への情動は、あるいは東日本大震災後の「がれきの中の運動会」とも通底する、災害大国・日本の運動会ならではの文化的特性の一つとして挙げられるのではないだろうか。 後者については、一年延期されて実施された東京2020オリンピック・パラリンピックの「復興五輪」としての意義と役割を分析した。主に被災地における地方新聞の記事を収集し、その成果と課題に関する論点を整理するとともに、本研究の主題である関東大震災後の事例と比較するかたちで発表、ディスカッションを行った。結果として、オリンピック・パラリンピック大会を通して復興の現在地を知ることの重要性と、その評価に際して国内外におけるスポーツを通した震災復興の知見を幅広く援用することの必要性が示唆された。
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