今年度は5年間の研究の最終年度である。そのため、1920年代のイギリス委任統治下パレスチナで登場した汎イスラーム的言説の中心となったエルサレム地域に焦点を当て、都市エルサレムで急速に政治化していくエリートの言説と、農村部での伝統的かつローカルなイスラームをめぐる言説の相互的な影響と差異についてまとめるために研究を行った。 これまでの研究では、エルサレムの中心部から北西5キロメートルに位置し、イスラエル建国とともに破壊されたリフター村の村落史に焦点を当て、同村の出身者が離散先で発刊してきた6冊の村落史を収集し、それらの分析を行ってきた。具体的には、現地調査を通して離散後のリフター村民が設立してきた5つの村民協会の存在を明らかにし、こうした離散する村民のネットワークが村落史の作成・出版・共有において果たしている役割を検討した。 これらの研究成果を踏まえて、今年度は、離散下の状況でリフター村民が語って来た故郷での宗教実践の内容を明らかにし、それが現在において再解釈されている在り様を踏まえつつ、1920年代以降のイギリス委任統治下パレスチナでの宗教行政において中心的な役割を担ったハーッジ・アミーン・アル=フサイニーの著書や評伝のなかで語られる汎イスラーム的言説との比較分析を行った。この研究を通して、都市エルサレムに隣接するリフター村では、イギリス委任統治時代まで村民たちが保持してきた伝統的かつローカルな宗教実践と、植民地統治に対抗するための新たに組織化された民族主義的・イスラーム主義的言説が矛盾を内包しながら表出していたことが明らかになった。現在、これらの分析を学術論文にまとめる準備を行っている。
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