動物の空間認知における多感覚相互作用のモデルとして、競合する各感覚情報の信頼度を、重み付け平均化するというモデル(ベイズモデル)が注目されている。しかし環境の急激な変化などにより、通常一致する感覚情報間で齟齬が起こる場合、経験的重み付け困難ではないか。こうした問題に対し、本研究では、外敵の出現に際して極めて正確かつ俊敏な逃避的帰巣行動を行うオキナワハクセンシオマネキというカニを研究対象とした実験を行った。ここでは、通常一致するはずの経路統合(動物が自身の運動軌跡を積算し出発地点を常時“追跡”するという能力)と視覚の間に齟齬を提示し、両者の相互作用様態を調べた。結果として、我々が提案する排他的シフトモデル(経路統合に従いながら、視覚的キューを絶えず探索・評価し、帰巣終盤に排他的にシフトする)が従来仮説(視覚と経路統合の折衷案的振る舞い=ベイズモデル)よりも支持された。この結果は、動物が想定外な状況(ここでは迅速な意思決定が必要で、かつ通常一致している感覚情報間に齟齬がある状況)に立たされたとき、経験に基づいた意思決定の後に行為が実行される(ベイズ的意思決定)のではなく、行為の最中にリアルタイムで情報を探索し意思決定が行われることがあり得ることを示唆する。これは各情報の信頼度の蓄積を待つのではなく、特定の感覚情報から規定する運動プランに沿ながら、環境から与えられる不意の変化に即時対応し、運動をシフトすることが可能な適応的戦略であると言える。この意味で、本研究はスポーツなどにおける習慣的な素早い一連の身体動作において、いかにして環境変化に対応した突然の運動遷移が可能かという議論に比較認知的モデルを与えると考えられる。なお最終年度では、本研究の発展的研究として、社会的行動と多感覚相互作用との関係、人の集団現象における運動戦略との比較認知的な議論の強化を進めた。
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