本研究の目標は日本近代におけるナショナリズムの勃興について、既に社会科学が研究成果を挙げている制度としての<国家>の文脈とは対立、拮抗しながら、実は相補し合っている<郷土>を拠り所としたロマン主義的反動を<感性のナショナリズム>と命名し、その構造と系譜を解明することにあった。ささやかな成果として以下の2点を挙げることができる。 1点目は「山岳風景画」とも呼ぶべきジャンルの発見である。丸山晩霞、吉田博、大下藤次郎らを、まずは日本アルプスの山々や渓谷の風景美を水彩画と簡潔な鑑賞記に託した<登山する水彩画家>、さらには広く画材を日光、多摩、小諸など全国諸処のローカルな風光明媚の地に求めた<旅する水彩画家>として束ねることで、日本固有の火山の崇高美(sublime)に「江山洵美是吾郷」を謳いあげた志賀重昂『日本風景論』に端を発し、小島烏水の「日本山岳会」創設で1つの頂点を迎える<吾が郷土>の生成に併走しながらその裾野を開拓し担い続けた役割と意義を解明した。彼らは一様に、中央画壇を率いる黒田清輝の「白馬会」に追われながらも対峙した「太平洋画会」に属しており、日本アルプスを戴く信濃の山奥の名もない民の生活を掘り起こそうと企図した島崎藤村の<山岳小説論>、<故郷>に着目した民友社系文学との連接性を認めることができる。 2点目は<感性のナショナリズム>を考察するための補助線として想定してきた夏目漱石における「sublime」の位置付けである。『虞美人草』のテクスト分析から、個我を押し立てようとしたヒロイン「藤尾」を「近代国家」の<法>(法学出身で外交官となる「宗近」)が殺し、「sublime」の美意識がそれを正当化する構造を導き出した。漱石は超越性を喪失してナショナリズムを補完する同時代の「sublime」の様相を見事に捉え、その男性中心主義的性格ともども批判の対象に据えていると結論した。
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