江戸時代に発展した和算の、日本中に分布した各流派の活動について調べ、教育課程としての側面について探るのが本研究の目的であった。 研究初年度の平成30年度には主に文献収集に努めたほか、四日市大学関孝和研究所の小川束教授の助力を得て、千葉県の至誠賛化流の存在を知るとともに、同流派が発行していた年次報告の内容を見ることができた。 2年目の令和元年度には、残存算額の多さで知られ、和算研究の重要拠点でもある長野県木島平村を訪ね、当地の和算家野口湖龍が残した膨大な資料を実際に手に取って、当時扱われていた算術の内容を確認した。さらに木島平村ふるさと資料館の館長樋口和雄氏より、江戸時代に算術が重要な教養であったこと、特に庄屋を中心とする知識階級にとって、年貢計算等に必要な算術に始まる数学学習文化が存在していたことなど、様々な情報を収集した。これにより、当時広く算術の教育が行われていたこと、各地域で師匠とも言うべき和算家が活動していたことが明らかとなった。 さらに日本の他地域についても調査を行う必要があったが、折悪しく3年目の令和2年度から続いたコロナ禍により、地方への出張が叶わなくなり、その後は主に文献調査にとどまった。中でも江戸時代の和算家の「遺題継承」における算術学習の深まりや弟子の学問的挑戦から、現代の教育課程への意義を見出す論考を発表することができた。延長した4年目の令和3年度には、さらに現在の算数教科書の問題分析を通して、江戸の和算の立場から作題を中心とする改善につなげる研究を展開した。 こうして江戸時代の和算における算術研究教育の実態を、現代の算数数学教育課程に反映させる準備までたどり着くことができた。しかし再延長した5年目の令和4年度に申請者が学長となってしまい、文献資料を集める以外に研究時間を取れなくなり、研究の継続・発展ができなかったのは残念である。
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