研究課題/領域番号 |
18K18731
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研究機関 | 国立研究開発法人産業技術総合研究所 |
研究代表者 |
今清水 正彦 国立研究開発法人産業技術総合研究所, 生命工学領域, 研究員 (90465930)
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研究期間 (年度) |
2018-06-29 – 2021-03-31
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キーワード | テラヘルツ波 / 酵素反応正確性 / RNAポリメラーゼ / 生物ナノマシン / 熱ゆらぎ / 水和 / 誘電緩和 / 非熱的効果 |
研究実績の概要 |
熱運動が支配的な環境下で、酵素反応は正確に行われる。このような熱運動を利用する生物反応のメカニズムは、生命科学の基本原理として必要になる。しかし、生物の分子機械が、どうして低いエネルギーでも正確に作動するのか?という疑問に対する一般的な答えは、生物の教科書にも物理・化学の教科書にも載っていない。この答えを得るためには、熱運動と同等のエネルギーで生物反応系に摂動を与え、生物機械の作動原理を明らかにする新しいアプローチが必要である。本研究では、そのような手段として、テラヘルツ(THz)光を用いることを着想した。エネルギーの観点だけなく、生体高分子とその周辺の水の熱運動に特有の挙動が、THz周波数領域にあると予想されるからである。
本研究では、THz周波数領域の電磁波照射が酵素反応に与える影響を統計的に評価する新しい手法を開発した。具体的には、RNAポリメラーゼによるDNA転写反応をモデルとし、この反応に与えるTHz光照射効果をハイスループットDNAシーケンシング法で検出する新しい方法を構築した(THz-pump-seq法)。この方法により、周波数0.1THzの電磁波の照射が、温度上昇とは質的に逆の効果を転写反応に与え、正確性を高めるという新しい現象が見出された。さらに複数の周波数の異なる光源を用い、転写反応を変えるTHz光照射効果に周波数依存性があることを示唆する結果が得られた。また、THz光照射下の誘電緩和測定を行う実験系を新たに構築し、DNA水溶液における水の運動の直接的な観測を行った。このように、THz光照射効果として得られた新しい生物現象の背後にある分子機構を知るための基盤構築が本年度の主な実績である。
THz照射実験・光源利用において、田中真人氏(産総研)、保科宏道氏(理研)、山口裕資氏(福井大)の協力を得た。誘電緩和測定・解析において杉山順一氏(産総研)の協力を得た。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は(1) THz光条件を変えた照射実験と、(2) 分光法を取り入れた新しい観測系の構築を行い、分子機構に迫る研究を展開することを目標とした。(1) の周波数依存性から、印加した交流電場と転写反応に関与する分子運動との直接相互作用を検証できると考えた。そこで、昨年度から利用しているクライストロン型0.1THzパルス光源に加え、福井大遠赤外領域開発研究センターのジャイロトロン光源から発生させた複数周波数のCW THz光を用いて、同様にTHz-pump-seq実験を行なった。この結果、パルスや強度等の光条件が異なるにもかかわらず、周波数が近い0.1THzと0.2THz照射効果に相関があった。一方、同一ジャイロトロン光源を用いた照射実験であっても、周波数が遠い2つの結果には相関がなかった。この結果は、周波数依存性と矛盾がなく、分子機構の解釈への布石となる。(2) では、これまでに得られた0.1THz光照射が転写反応に及ぼす低温類似効果について、分子機構の説明を与える必要があった。まず、低温と遅い水の運動が結び付くことから、0.1THz光照射により、生体高分子への水の束縛が強まる可能性を考えた。仮説の検証にはマイクロ波領域に現れる水の誘電応答を調べる必要があった。そこで、反射プローブ測定に0.1THz光照射を組み合わせた新しい計測系を作った。THz光を試料に透過させ、かつ温度変化を抑える独自の工夫を施し、信憑性の高い測定データが得られている。以上(1) (2)の成果から、今年度の目標を十分に達成できたと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
これまでに見出したTHz光による転写反応系への摂動について、その分子機構の理解を深める。具体的には、現行の核酸水溶液を用いた誘電緩和測定に加え、産総研における所属研究グループの協力を得て、THz光照射試料の溶液NMR観測を行う。これにより、水の運動のみならず、原子レベルの生体高分子の運動情報をTHz光照射と関連づけて調べることができる。
また、照射したTHz光が、そのピコ秒という時間領域において分子の何と相互作用し、何を変えるのか?どのようにTHz光の励起状態が十分に長い時間断熱的に保たれ得るのか?その機構の理解のため、生体高分子に留まらず、低分子を用いてTHz照射と分光観測を組み合わせた解析を行う。
さらに、THz光照射による非熱的効果の細胞・個体レベルでの検証を行う。当初予定していた酵母や大腸菌といった微生物を用いた実験では、厚い細胞壁による吸収といった照射上の問題と、熱的効果との表現型区別が難しいという評価法の問題があった。このため、高等生物を用いた実験を検討している。具体的には、線虫をモデル生物として発生段階依存的なTHz光照射効果を調べる予定である。倉持昌弘氏(東大・新領域)との共同研究として、線虫への照射実験を既に進めており、予備的なデータが得られている。
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