近世日本における公共投資が、諸大名の経済負担によって成り立っていたことは知られていたが、大名の経済力が何によって支えられていたのか、また公共投資が減退するアヘン戦争以後、大名財政にどのような変化が生じたのかについては、十分に解明されてこなかった。 本研究プロジェクトにより、大規模土木工事を割り当てられた外様の大大名(いわゆる西南雄藩)は、大坂の商人と深い関係性を構築し、比較的低利な借入を実現していたこと、また天保飢饉の被害を東北・関東諸国ほどには受けなかったことから、幕末に向けて資金を蓄えていたことが明らかにされつつある。このことは、幕末維新研究にも新たな分析視角を提供するものである。
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