本研究課題では、嗅細胞の軸索が、発現する嗅覚受容体に誘導される形で投射先を見出す分子機構の解明を目指してきた。この研究分野では多くの研究者が、嗅覚受容体分子が軸索にも見出される事から、嗅覚受容体が嗅上皮で匂い分子を検出するのみならず、軸索末端では軸索誘導受容体として機能し、投射先のターゲット分子を識別すると考えてきた。当グループではこの「嗅ぎ分けモデル」に異議をとなえ、嗅覚受容体の種類に固有なレベル産生されるcAMPを仲立ちとして、Neuropilin 1、PlexinA1などの軸索誘導受容体とそのリガンド分子の発現が、PKAを介して転写レベルで制御されている事を報告した。最終年度ではそのまとめに当たって、嗅覚受容体の一体何がcAMPの量を決定しているのか、言い換えれば、1000種類あるマウス嗅覚受容体が何を指標にそれぞれに固有なcAMPの量を決めているのか、またそれを産出する為の分子活性が何なのかについて解析を行なった。我々はβ2-アドレナリン受容体の活性変異体を作成し、それらを発現する変異マウスを解析する事により、cAMPの産生量を決めるものはリガンドを必要としない受容体分子自体のもつゆらぎの平衡点である事を突き止めた。またこの基礎活性に基づくcAMPの産生には通常匂い物質の検出にあたるGタンパク質Golfは使われず、より感度の高いGタンパク質Gsが共役している事が明らかとなった。これらの発見により、嗅覚受容体単離後20年余りを経て、この分野最大の謎であった「嗅覚受容体に依存した神経軸索の投射」の実体がようやく明らかにされた。高等動物の中枢神経系において、個々の神経細胞のidentityがどの様な形で軸索末端に表現され、それを制御するdeterminantが何かを明らかにしたのは初めてであり、その意味に於いても本研究課題は十分に当初の目的を果たしたといえる。
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