研究概要 |
・中国乾燥地域に残された灌漑水路跡・耕地跡を高解像度のQuickBird衛星画像判読から抽出し,併せて,関中・中原地域からの影響を検討することを目的に実施した.内モンゴル西部黒河下流域で,中国人民大学魏教授・同吉林大学湯教授らと,Bj2008囲郭付近および上記画像判読から抽出された耕地跡・灌漑水路跡の可能性が高い付近の現地調査を実施した.結果は以下通りである. ・緑城北東8km(HanXY-1)付近の泥質平坦地には,規模を異にする数多くの並行・分岐,他を切断した盛土型灌漑水路跡とそれらに囲まれた耕地跡,散在する陶片から西夏・元と推定される複数の住居址などが確認された.一部に畝の間隔(区画サイズ)が約23-24mと漢尺の約100尺にほぼ相当する耕地跡が残存し,さらに,サイズが異なる2種類の深成岩質ローラー(断面が約46cm角で長さ70cm弱と約30cm角で長さ約120cm),被覆した陶片から漢代と推定される墓1基を観察した.また,前漢代のBj2008囲郭南東500m付近で,西夏・元代の陶片が多数散在する盛土型灌漑水路跡と耕地跡を確認した.これらにより,漢代耕地跡が西夏・元代に再利用されていたこと,それぞれの時代には当時の「尺度」による区画規模・平坦化用のローラーが採用されたことなどが判明した.さらに,Corona衛星画像の判読結果などとの比較から,西夏・元代の耕地跡は大半が漢代のそれに重なること,前者の耕作地範囲・生活範囲が従来の想定を大幅に上回ることが明らかとなった. ・黒河最下流域のA1遺跡南東約5kmのA10遺跡(漢代)付近で,鉄鉱石露頭および複数の製鉄所跡が確認され,当地での鉄生産が判明した.この事実は,当時の鉄製品が他地域からの輸送という従来の見解を,大幅に修正するところとなった. ・2010年2月に,上記の成果などを中心に,一般公開による国際シンポジウムを開催した.
|