研究課題/領域番号 |
19300086
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研究機関 | 大阪電気通信大学 |
研究代表者 |
小沢 一雅 大阪電気通信大学, 情報通信工学部, 教授 (40076823)
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研究分担者 |
猪原 正守 大阪電気通信大学, 情報通信工学部, 教授 (40184791)
加藤 常員 大阪電気通信大学, 工学部, 准教授 (50202015)
福永 伸哉 大阪大学大学院, 文学研究科, 教授 (50189958)
北條 芳隆 東海大学, 文学部, 教授 (10243693)
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キーワード | 考古学 / 日本史 / 情報システム / モデル化 / 情報工学 |
研究概要 |
前方後円墳をめぐる古代世界の実像を解明するという本研究の初年度にあたって、当初の研究計画に沿って研究調査を行い、以下のような実績をあげた。まず、前方後円墳の年代を決定する基準になっているのは陵墓古墳(天皇陵ほか)であるという実態から出発して、もっとも重要な鍵になる古墳はどれかについて考古学的側面から検討を行った。その結果、箸墓古墳が重要な鍵になる古墳であるとの結論を得た。これをうけて九州地区に遺存する箸墓タイプの古墳の実地見分も行った。日本書紀・崇神紀に箸墓古墳築造の記述があることから、年代決定の鍵は崇神天皇がいつ頃の天皇なのか(崩御年はいつか)という問題と深く関わっていることも明らかになった。従前、古事記に記載されている干支崩年から崇神天皇の崩年(258年あるいは318年)が考えられてきた。この結果として、箸墓古墳が卑弥呼の墓であるというようないわば短絡的な見解が導かれてきたと考えられる。情報学的には合理性を欠く年代観と思われるが、これ以外の理解がなされていなかった経緯がある。そこで、当年度は崇神天皇の真の崩年を推定する目的で天皇の崩年モデル(数理モデル)を追究した結果、かなり信頼度の高いモデルの構築に成功した。これを用いて崇神天皇の崩年を推定した結果、早くとも4世紀中頃とみなければならないことが判明した。これによって箸墓古墳の年代は4世紀前半〜4世紀中頃とみなければならないという古代史上重要な結論を得た。この結論は、日本古代を新しい視点で復元する重要な基礎になると考えられる。
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