本研究は、1970年代以降の大都市の転換過程とそれに関連する理論的展開を背景とし、わが国大都市に特有の少子高齢化という人口学的転換も視野に入れて、東京郊外の一自治体である三鷹市に焦点を当て、地域情報化と市民協働の実践がどのように結びつき、内発型都市活性化政策が展開されているのかを明らかにすることを目的としている。本年度は若干の補充調査を実施するとともに、昨年までの調査結果を歴史的な観点から検討し、レジーム論を構成した。 三鷹村成立以降の地域史は、名望家レジーム、郊外開発レジーム、市民参加型反成長レジーム、市民参加型都市経営レジームと推移し、市民協働型都市経営レジームへと向かいつつある。名望家レジームにおいては、自由民権運動分裂の影響から政友会系と民政党系の東西2学区体制をとる「葛藤」モデルが三鷹の特徴をなすが、戦後、武蔵野市ヒの合併に失敗したのち、単独で住宅都市への道を歩むことになり、郊外開発レジームを確立、下水道建設に注力して計画行政と効率行政の基礎がつくられた。1970年代には、中道・左派連合によって支えられた革新市政が、市民参加型反成長レジームを構築、コミュニティ政策を軸とする計画行政・参加行政の伝統をつくった。1990年代には、保守・中道左派連合に支えられた市民参加型都市経営レジームへと再編され、参加手法の高度化を図ったが、2000年代には、その延長線上で、地方分権改革と介護保険制度に対応すべく市民協働型都市経営レジームへと向かいつつある。 コミュニティ政策は、郊外開発レジームの末期に提案され、市民参加型反成長レジームのもとで花開いたものの、市民参加手法の高度化とともに自治の基盤としての意義が低下、SOHO施策は、市民参加型都市経営レジームのもとで取り入れられ、高度情報化時代の産業振興政策として位置づけられたが、現状ではコミュニティ・ビジネスに特徴をもつ。
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