(1)研究の目的 本研究は、少年教護法の成立経緯を解明することを目的とする。 (2)先行研究の状況 少年教護法は、第64帝国議会において、広島県選出代議士荒川五郎他66名の議員が提出した法案を修正して成立した。法案の作成、同法の成立に関しては、『少年教護法制定顛末』(1935年刊)において、感化院関係者が結成した感化法改正期成同盟の果たした役割が強調されている。森田明「昭和八年少年教護法の成立とその周辺」(『現代立憲主義の展開』1993年)、藤原正範「児童自立支援施設-その歴史から考える-」(『児童自立支援施設の可能性』2004年)をはじめ先行研究において、法案作成と議会での可決には、武田塾創設者武田慎治郎、兵庫県立土山学園長池田千年、京都府立淇陽学校長田中藤左右衛門、大阪府立修徳学院長熊野隆治等、三田一野会と言われる4人の感化院関係者の働きが大きかったことが指摘されてきた。しかし、既往の研究では、推論に基づく評価や事実認識の誤りも多くみられ、少年教護法の成立経緯は不明なことが多い。それは関係史料が未発見であったことにも由来する。 (3)本研究の課題と方法 そこで本研究では、武田、田中、池田、熊野が所属した感化院関係文書を継承する児童福祉施設(武田塾、京都府立淇陽学校、兵庫県立明石学園、大阪府立修徳学院)等が所蔵する未整理資料群を発掘・整理し、それらの資料を感化院の実態との関係のなかで分析することを通して少年教護法の成立経緯を解明することを課題とした。
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