研究概要 |
研究者の加藤は、インドネシア・マレーシアへ短期の出張を2度行ない、東京への出張を2度行なった。インドネシアならびに東京への出張は、主として19世紀末以降のインドラギリ川沿い地域に関する植民地文書の所在の確認と、コピー可能なものについて資料を収集することが目的であった。その結果、植民地官吏の事務引継ぎにかかわるオランダ語文書は役に立つことがわかったが、インドネシア語による文献は1920年代から出版されたPandji Pustaka, Hindia Timoerなどの写真入り雑誌を丹念に精査し、インドラギリ地域に関する記事を渉猟する以外、入手がきわめ難しいことが判明した。この点は、フィールド調査と共に2008年度調査の課題である。マレーシア出張は、植民地時代に盛んだったインドラギリ川地域からマレー半島への出稼ぎ・移住の歴史を探ることで、当時の移住者ないしその子孫を探すことが目的であった。数は限られてはいたが当事者を若干名探すことができ、新年度には聞き取りを実施する予定である。 研究分担者の阿部はインドラギリ下流部地域に2週間の出張を行なった。中国経済が急激に成長するなかで、燕の巣の「生産」が急速に拡大した地域であり、今回の調査の目的はその成長過程を辿ると共に流通経路についての情報を得ることであった。後者については企業秘密が含まれていることもあって詳細を得ることはできなかったが、シンガポールが重要な中継点であることはわかった。燕の巣の「生産」は、19世紀以降、「フロンティア」として発展してきたインドラギリ下流域の経済発展の形を継承するものであることが確認できたことは、今回の調査の大きな収穫であった。
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