19世紀後半における露清関係の変容と日本の北東アジア政策の関係を解明し、次の点で大きな成果を得ることができた。第一に、帝政ロシアは北京条約によって清国から沿海州地域を獲得し、極東の軍事拠点をニコラエフスクからウラジオストックに変更した。このウラジオストックを維持するために帝政ロシアが航行させていた義勇艦隊に対抗して日本の北東アジア航路が整備されていることを解明した。第二に、日露戦争開戦過程における日本の北東アジア政策を解明した。この点については、ロシアの史料を利用しただけでなく、中国および韓国の研究も取り入れることで重層的な国際関係の変容と日露開戦期における日本の北東アジア政策を解明した。
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